うわさは瞬く間に業界を駆けめぐる。新風営法が施行されてから4カ月後の昭和60年6月。渋谷駅の南口近くに、のちにテレクラと呼ばれる「テレフォン・ナンパ・ステーション」という店ができた。当の「アトリエ・キーホール」も「クロス・ポイント」というテレクラに転業。男女がクロスする(出会う)という意味らしい。課金の仕組みの説明は省くが、6秒10円という目玉が飛び出るようなテレクラもあったらしい。なかなか大きなビジネスである。
「アア~ン、ウフーン」「イク、イク」「来て、来て」。声だけでつながるエッチな関係。すっきり昇天するとハイ、おしまい。何よりも顔が見えないことが最大の魅力だった。文字に書けないような大胆な言葉も発したにちがいない。
あのころ、テレクラ業者は駅前でせっせとティッシュを配っていた。そこに電話番号が記してあった。ティッシュを受け取った女性が興味をもって店に電話をする。男性が待機する店内には椅子と電話機がポツンと置いてある。テレビもあった。そして、ここでもティッシュペーパーのボックスが置いてあった。
テレクラの愛好家だったという男性(68)は言う。「受話器をとると、たしかに女性の声。お互いに自己紹介をしているうち相手の素性や生活環境などがわかってくるんです。そのうち『ねえ、一緒に遊ばない?』などとお誘いの言葉を投げかけてくるんです」
シロートの女性も多かった。興味本位だったのか、本当に欲求不満だったのか。悩殺ボイスで攻めまくる女性もいたそうである。
先の68歳の男性によると、待ち合わせた喫茶店に現れたのは20歳くらいの女性。「ごめんなさい。やっぱりできません」と謝って去っていったそうだ。何も律義に陳謝することもなかろうにと思うが、まじめな子だったのだろう。いやいや、会ってみてあまりに年齢が離れているのでびっくりしたのかもしれない。
さて、風俗ライターの伊藤裕作さん(67)によると、昭和61(1986)年には東京に400店、大阪に100店、全国には1千店のテレクラができたという。料金は入会金が2千~3千円。個室使用料は1時間3千円が相場。社会現象になり、一般紙でもテレクラが取り上げられるようになる。