朝日新聞社のデータベースを調べると、東京の多摩地方では昭和63年、小学校の東門から約20メートルの通学路にテレクラが開店。反対運動を起こしたPTAが市議会に環境浄化を求める文書を提出した。地元警察は「風俗営業ではないので正攻法の規制は難しい」との立場。PR用の立て看板や貼り紙が道交法違反などにあたると判断し、撤去を指導したが、それ以上の手は出せなかった。全国各地で似たような問題が同時多発していたにちがいない。

 電話ボックス内のピンクチラシも問題になった。横浜の歓楽街にあったテレクラのキャッチコピーはこんな感じ。<あなたですもの、恋もデートもお手のもの……。ブルーな毎日 マンネリな生活からの脱出法! 思い切って>。なかなかの美文、散文調だ。<恋のフィーリングがいいって友達がいうもんですから 今、テレクラはドラマチックな言葉のスポーツ>なんてコピーもあった。スポーツって言われても……。

 工場や労働者の多い隣の川崎(筆者のふるさとだが)に行くと、直截的な表現が目立った。<貴方との出逢いを求めて 人妻、OL、学生などHOTなTELが沢山!! 男性なら一度は経験するべきです!>。いやはや、するべきとは……。

「テレクラは、さまざまな人が入り乱れるシロート参加型の風俗の元祖だった」。風俗ライターの伊藤さんは言う。「援助交際」という不思議な言葉が生まれたのは平成に入ってからだが、売春に比べると罪の意識も薄かったのだろう。消費社会の中で、ゲーム感覚で自分の都合のいいときにのみ電話をして交際をし、別れる。愛情に飢えていた女子高生もいただろう。おじさんはバブルの絶頂と崩壊という社会の潮流にもまれ、生きる目標を失っていたのだろうか。

 ツーショットダイヤル、伝言ダイヤル、出会い系サイト、そしてLINEへと男女をつなぐツールは進化した。原点は昭和のあのころにあったと言っていい。

週刊朝日 2017年10月13日号

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