音楽監督を務めたのは、キャロルの次女シェリー・ゴフィンと結ばれたものの離婚したロビー・コンドール。ダニー・コーチマーと共にギターを担当したディロン・コンドールはロビーの息子、つまりキャロルの孫にあたる。家族の絆を大切にするキャロル。その歌、演奏からにじみ出る人柄に魅せられる。
58年に歌手デビューしたキャロルは、60年代は主に作曲家として、最初の夫ジェリー・ゴフィンと共に多くのヒット曲を手がけた。だが、ザ・ビートルズやボブ・ディランの台頭で仕事の場を失う。ジェリーとも別れ、ロサンゼルスに移住。新たな夫チャールズ・ラーキーらとグループを組んだ後、シンガー・ソングライターとして再出発。その2作目が『つづれおり』だった。
発表した71年には、60年代半ばから燃え広がった反戦運動や反体制運動が退潮期を迎えていた。その一方で、ベトナム戦争は泥沼化し、国内でも財政赤字、物価上昇など数々の問題を抱え、アメリカは内憂外患の状態にあった。
そうした背景の下、内省的な表現によるシンガー・ソングライターの歌が心のやすらぎを求めていた大衆に受け入れられ、キャロルはその代表格とされた。
ハイド・パークのライヴ盤で「地の果てまでも」を歌う際、「当時はウーマン・リブが盛んになり始めた頃で、男に寄り添って生きるという内容の歌だし、歌うのがためらわれ、あまり演奏したことはなかったの」と、後に母と娘の関係を描いた歌に改めた経緯に触れている。
そのエピソードが物語るように、女性からの視点による表現が女性層の支持を得たのも高い評価を受ける要因になった。恋人に決別を告げる「イッツ・トゥー・レイト」はその最たるものだ。開放感にみちた「アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」は率直で積極的な感情表現が話題となり、殻に閉じこもった女性へのメッセージとして受け止められた。
アレサ・フランクリンに提供した「ナチュラル・ウーマン」では“ありのままの姿で”という歌詞にもあるように、キャロル自身の内面を表現したパーソナルな歌として、ポジティヴな姿勢を打ち出していた。
シンガー・ソングライターとなり、自身でも手がけるようになった歌詞の多くは、聞き手にとって身近なことが平易な言葉で綴られている。加えて、メロディー・メイカーとしての才能、ことにポップな持ち味が作品に普遍性をもたらし、共感を呼んだ。
時代を経てもなお彼女の作品、とりわけ『つづれおり』が瑞々しい魅力を放ち続けている所以はそんなところにあるようだ。(音楽評論家・小倉エージ)
●『つづれおり:ライヴ・イン・ハイド・パーク』=CD+DVD(ソニー・ミュージックエンタテインメント SICP31074~5)
●『つづれおり』=高音質アナログ盤(同 SIJP55)
●『つづれおり』=7インチ紙ジャケSACDマルチ・ハイブリッド盤(同 SICP10120)