レスター・ヤング『コンプリート・アラジン・レコーディングス』
レスター・ヤング『コンプリート・アラジン・レコーディングス』
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●エア・チェックの衝撃

 我が家にラジカセが来たのは私が小学校4年生のときでした。1979年のことです。世間では「サタデー・ナイト・フィーバー」がまだ流行っていて、ラジカセにくっついていた試聴用テープも“レイ・コニフ・シンガーズが歌う《恋のナイト・フィーバー》”だったことを覚えています。

 ラジカセを買ったことで、私はエア・チェックというものを覚えました。が、最初は要領がわかりませんでした。ラジオ放送をそのままカセットテープに録音できるというメカニズムが、そもそも理解できませんでした。ラジオをきいている自分の鼻息や、まわりの物音も全部テープに入ってしまうのではないかと思いながら、石のように固まった姿勢でエア・チェックをしたものです。そんなとき、階下から「和典、ごはんだよー」という母親の声など聞こえてきたらもう大変です。「いま録音中なのに、そんなに大きな声を出したらテープに入っちゃうじゃないか!」と、私の泣きべそが炸裂したことはいうまでもありません。

 が、エア・チェックの回数を重ねるうちに、「いくら騒いでもその音は入らない」、「小さめの音でラジオを聴いても、大きめの音でラジオを聴いても、それと録音レベルは関係ない」ということがだんだんわかってきました。

 ラジカセに熱中した私はAM放送やFM放送を聴きまくりました。私が生まれ育った北海道といえばご存知、松山千春や中島みゆきの産地です。ほかにもフォークというかニューミュージックというか、そっち系の歌手たちが盛んにローカル放送(札幌テレビを本拠地とするSTVラジオ、北海道放送を本拠地とするHBCラジオが覇を争っていました)でしゃべっていました。《メモリーグラス》の堀江淳とか、さいきんはアグリカルチュラル方面で稼いでいる田中義剛とか。ベストテンの順位をリスナーが電話で当てるという「ベストテン北海道」という番組もありました。

 余談ですが私は中学生の頃、この番組の司会者に激しくあこがれました。そして自分と友人のラジカセを連結して、“俺なりのベストテン北海道”をテープに刻んだものです。一般的なヒット・チャート(黒柳徹子と久米宏がやっていたテレビ番組で紹介されるような)に不満があったので、自分自身のベスト10を作りたかったわけですね。1位から10位まで全部RCサクセション、11位はレッド・ツェッペリンの《ハウ・メニー・モア・タイムズ》、12位は沢田研二の《ス・ト・リ・ッ・パ・ー》といった感じで…。

 FM放送に目を転じてみますと、79年当時の北海道ではまだNHK-FMしか受信できませんでした。いわゆる民放のFM局(FM北海道)が開局したのは83年のことだったと思います。なぜかというと、その記念として、札幌近郊の真駒内アリーナという場所でサザンオールスターズとRCサクセションのジョイント・ライヴがおこなわれたのを鮮明に記憶しているからです。あのエアチェック・テープは私の宝ですね。

●FMのジャズ番組が「先生」だった

 話を79年に戻しましょう。私が初めてNHK-FMを聴いたときに思ったのは、「クラシックが多いなー」、「ジャズも多いなー」というものでした。適当にスイッチをつけると、そのどちらかが必ず流れているといっても過言ではありませんでした。おかげで私はクラシックもすっかり好きになってしまいましたが、個人的にはもちろん、ジャズを録音しまくりました。当時、ジャズを流していた番組を思いつくままに挙げると、「ウィークエンド・ジャズ」、「ゴールデン・ジャズ・フラッシュ」、「セッション79」、「軽音楽をあなたに」、「サウンド・オブ・ポップス」、「クロスオーバー・イレブン」、といったところが浮かびます。

 「ウィークエンド・ジャズ」は、いソノてルヲ氏の選曲でした。「ゴールデン・ジャズ・フラッシュ」は、いソノ、行田よしお、本多俊夫各氏の選曲とDJでした。「セッション79」は、その後も西暦を変えて続いていて、今は確か、スタジオの名称からとった「セッション505」という番組名になっているはずです。日本のミュージシャンの生きのいいライヴが聴けました。「軽音楽をあなたに」は、スタッフ(当時人気のフュージョン・バンド)の《いとしの貴方》がテーマ・ソングでした。最初のうちはゴリゴリのジャズもかかっていましたが、歌手のアンリ菅野(故人)がDJをしてから歌ばっかりかかるようになったので、聴くのをやめてしまいました。ちなみに“軽音楽”とは、寄席における“色物”と同義語です。つまり落語とクラシック音楽が本筋であり、ほかの演芸や音楽は色物であり軽音楽である、ということです。

 FM番組は多くのジャズ・ミュージシャンを私に教えてくれました。とくに「ウィークエンド・ジャズ」はスイング系のミュージシャンや、伝説の巨匠、ビッグ・バンドなどをガンガン紹介してくれたので、とかくモダン・ジャズ一辺倒になりがちだった私には大変、勉強になりました。あるときは、レスター・ヤングが延々とかかっていました。もちろん当時の私は、レスターが何者であるか、いかに偉い人物か、波乱万丈の人生を送ったか、など一切知りません。が、内容は覚えています。

 1曲目は《ワン・オクロック・ジャンプ》と紹介されました。心地よいサックスの音が聴こえてきます。ピアノやドラムスも弾んでいます。いいなあ、と思い、カウント・ベイシー楽団で有名なあのメロディが出てくるのを今か今かと待つのですが、出てきません。あれっ?と思ううちに演奏は終了です。

●レスター・ヤングとの出会い

 番組はなおも続きます。《イージー・ダズ・イット》、《ジャンピン・ウィズ・シンフォニー・シッド》、《恋人よ我に帰れ》(すごい邦題ですね)などなど。

 これがまた、いいのです。柔らかくて芯のあるテナー・サックスの音が、まるで鼻歌を歌っているようにメロディを紡いでいきます。こんな素敵な奏者がいるんだなあ、と思い、もっと彼のプレイを聴きたくなった私は後日、レコード店に飛び込みました。

「レスター・ヤングのレコード、ありますか? 《ワン・オクロック・ジャンプ》や《恋人よ我に帰れ》が入っているやつです。」

「あいにく、そのような盤はありません。そのレコード、どんな題名ですか?

「ラジオで聴いただけで、詳しくわからないのです。」

「それではなんとも調べようがありません…。」

 あとで文献にあたったところ、そのレコードは『The Aladdin Sessions』という2枚組LPであることがわかりました。米ブルーノート・レコードが70年代中期に、いわゆるBNLA規格で出したものですが、そんな通好みのもの、旭川市に入荷しているわけがありません。

 結局、私がこの音源を入手したのは90年代も後半、『Complete Aladdin Recordings』というCDが発売されてからのことでした。約20年ぶりに聴くレスターの《ワン・オクロック・ジャンプ》は相変わらず瑞々しく、猛烈に歌っていました。