TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は今年1月に亡くなった高橋幸宏さんについて。
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サディスティック・ミカ・バンドを率いていた加藤和彦さんは、高橋幸宏さんの声についてこんなことを言っていた。
「空が青いと歌うだけで悲しさを表現するんだ」
幸宏さんの訃報(ふほう)に加藤さんの言葉を思い出し、僕は冬の青空を見上げた。
「ビートルズが好きで夜な夜な一緒に歌いました。歌詞にコードを振って。A4の紙にね。それを見ながら『ひとりぼっちのあいつ』とか」(『桑田佳祐のやさしい夜遊び』1/21 土曜)
「アルバム『MOONGLOW』の中の『レイニー・ウォーク』では細野さんのベースとともに演奏してもらっています。心よりご冥福をお祈りいたします」(『山下達郎 サンデー・ソングブック』1/22 日曜)
こうして桑田佳祐さん、山下達郎さんがラジオのマイクに向かった週末だったが、日曜の深夜1時、「高橋幸宏が宇宙に帰っていきました」と語りだしたのが盟友細野晴臣さんだった。「やっと追悼ができる。それまでずっと言葉にできなくて……」(『Daisy Holiday!』1/23)
サディスティック・ミカ・バンドで世界のセンスを知り、サディスティックスでドラムの腕を磨き、YMOで花を開かせたと幸宏さんのキャリアを振り返り、「彼こそトップセンス」と語った。「世界一スマートなミュージシャン。彼にしたら、みんなダサく見えてしまう。審美眼というのかな。僕の才能を厳しい目で見ていた。やっと認めてくれたと思っていたのに」
ラジオピープルの僕も幸宏さんを眺めていた。
何十年も前だ。広尾から恵比寿へのバス通り沿い、俵山という名の小料理屋に構成作家だった先輩と通っていたのだが、カウンター奥にはよく幸宏さんが座っていらして、何げなくこちらに回ってくるのが彼の釣り上げたばかりの魚だった。「もしよかったら」。刺し身や煮魚のご相伴に「ごちそうさまです」と会釈すると、かつてYMOで世界を回った幸宏さんが微笑んだ。