デビューしたのは、21歳のときだ。アルバム「少女」は、ロサンゼルスでのレコーディングで、五輪真弓さんのデモテープを聴いて感銘を受けたキャロル・キングが駆けつけ、参加したことでも話題になった。
「スターになりたいとか、売れたいとか、そんな気負いは一切なかったですね。ただ、社会に出ていくことで緊張していたし、不安もあったので、当時のジャケット写真はだいたい表情が暗いの(苦笑)。実際、生意気なところもあって、取材のときもほとんどしゃべらないものだから、そのうちインタビューの仕事がこなくなっちゃった(笑)」
今でこそ快活な雰囲気だが、「あの頃の私にインタビューなんかしたら、きっと泣いちゃうわよ」などと、ジョークまじりに言う。華々しくデビューはしたものの、思うように曲が書けず、デビューして4年で、スランプに陥ったこともあった。
「私の曲作りは、詞を書くことから始まります。最初に書いた詞も、“小さいときの思い出を通して、今の心境を言葉にしてみたらどうだろう”と、そんな発想からでした。一人で黙々と言葉やメロディーを紡いでいると、まるで天とつながっているような気分になれる。私の大好きな時間でした。でも24歳ぐらいで“書くべき自分の世界”を見失って、ちょうどそんなタイミングでフランスのレコード会社からアルバム制作の申し出があったんです」
日本を離れた暮らしの中で、初めて歌謡曲も含めた日本文化の素晴らしさに気づけた。以来、日本的な情緒を歌詞やメロディーに加えるようになり、「そういう経験があったから、のちに『恋人よ』のような曲を作ることができたんだと思います」と五輪さんは振り返る。