内海桂子さん(右)と林真理子さん(撮影/工藤隆太郎)
内海桂子さん(右)と林真理子さん(撮影/工藤隆太郎)
この記事の写真をすべて見る

 週刊朝日と同じ、1922年生まれの内海桂子師匠。師匠のご主人でマネージャーの成田常也さんやファンの方も加わり、作家の林真理子さんとの対談を行ないました。対談では、成田さんとの結婚までの苦労話や、若い頃の子育てについてざっくばらんに語ってくれました。

*  *  *

林:ご主人の成田さんが師匠の大ファンだったというのは有名な話で。アメリカの航空会社にお勤めのとき、師匠の自宅に突然電話をかけて、その1カ月後に対面を果たされたんですよね。お二人が結婚なさったときは、大ニュースでしたよ。

内海:最初は結婚という形じゃないけどね。息子が「自分より年下の親父なんて認めない」と言ったから。

林:お付き合いされたのは、師匠がおいくつくらいのころですか。

内海:えーと……。

成田:同棲30年です。

林:ということは、いまの私ぐらいの年齢のときに、24歳年下の人が現れたわけだ。私にも希望がありますね(笑)。私の周りでも華やかな女性は、すごく年下の男性と結婚しているんですよ。

内海:いや、若けりゃいいってもんじゃないよ。男と女は同じぐらいな了見でいられるのがいいんです。

林:成田さんはお若いけど、師匠と同じ了見をお持ちだった?

内海:(成田さんを指して)あの方はあたしをもてあそべるからいいんですよ。この年になって誰も遊び手がいなかったら、つまんないもん。

林:いま、籍は入れていらっしゃる?

内海:ええ。一緒に暮らし始めてから10年後に、私のほうの籍に入ってもらいました。

林:師匠、ご結婚は成田さんが初めてですか。

内海:あたしが最初に男を知ったのが20歳で、一人で息子を産みました。5年後、次の相手との間に娘が生まれたので婚姻届を出したんだけど、届けたのが相手の本籍地の呉市(広島県)だったから、原爆や戦後のどさくさで受理されてなかったの。その人は働かないし、ヒロポン中毒になったから別れました。だから初婚ということになってるの。

次のページ