しりあがり寿(しりあがり・ことぶき)/1958年、静岡県生まれ。81年に多摩美術大学グラフィックデザイン専攻を卒業後、キリンビールに入社し、パッケージデザインや広告宣伝等を担当。85年に単行本『エレキな春』で漫画家としてデビュー。パロディーを中心にした新しいタイプのギャグ漫画家として注目を浴びる。94年に退社し、独立。2002年から朝日新聞夕刊で4コマ漫画「地球防衛家のヒトビト」を連載。06年から神戸芸術工科大学芸術工学部教授。近年では映像、アートなど多方面に創作の幅を広げている。西家ヒバリ(さいけ・ひばり)/1959年、神奈川県生まれ。多摩美術大学油画専攻卒業後、デザイン事務所、ブティック勤務を経て85年に結婚。91年に単行本『底抜けカフェテラス』でデビュー。幼少期の憧れだった少女漫画家とは百八十度違うギャグ漫画家になる。98年に長女を、2002年に長男を出産。代表作に『韓流時代劇にハマりまして』(小学館)など。(撮影/岡田晃奈)
しりあがり寿(しりあがり・ことぶき)/1958年、静岡県生まれ。81年に多摩美術大学グラフィックデザイン専攻を卒業後、キリンビールに入社し、パッケージデザインや広告宣伝等を担当。85年に単行本『エレキな春』で漫画家としてデビュー。パロディーを中心にした新しいタイプのギャグ漫画家として注目を浴びる。94年に退社し、独立。2002年から朝日新聞夕刊で4コマ漫画「地球防衛家のヒトビト」を連載。06年から神戸芸術工科大学芸術工学部教授。近年では映像、アートなど多方面に創作の幅を広げている。
西家ヒバリ(さいけ・ひばり)/1959年、神奈川県生まれ。多摩美術大学油画専攻卒業後、デザイン事務所、ブティック勤務を経て85年に結婚。91年に単行本『底抜けカフェテラス』でデビュー。幼少期の憧れだった少女漫画家とは百八十度違うギャグ漫画家になる。98年に長女を、2002年に長男を出産。代表作に『韓流時代劇にハマりまして』(小学館)など。(撮影/岡田晃奈)
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 夫はシュールな笑いと独特の世界観で、ギャグ漫画の新境地を切り開いた漫画家のしりあがり寿。妻の西家ヒバリもまた夫の影響でギャグ漫画の道へと進んだ。そんな2人の馴れ初めからユニークなエピソードとは?

*  *  *

夫:出会いは19歳か20歳のときだよね。

妻:うん、そーだね。

夫:多摩美術大学の本館の2階に自販機があって、僕がいつもカフェオレを飲んでたんです。そこに西家さんが来たんだよな。

――時は1978年。夫は多摩美術大学グラフィックデザイン専攻の2年生。妻は油絵専攻の1年生だった。

妻:大学で回覧されていた冊子に彼が描いた漫画が載っていて、それがおもしろかったんです。「どんな人が描いてるんだろう?」って、漫研の友人に紹介してもらった。

夫:僕の西家さんの第一印象は「ヘンな人だなあ」。

妻:失礼な(笑)。

夫:ちょっと声が太いよね? 女の子っぽくキャーキャー言う感じとは違う。僕はそういうのが苦手だからそれがよかったのかも。

妻:しりさん、雪駄を履いてなかった?

夫:履いてた。あの後、雪駄で電車乗ってたら、いきなり雪駄が分解して藁(わら)になっちゃったんだよね。

妻:あはは。

夫:藁をその場に残し、片足はだしで電車を降りた。

妻:そういうこと、ホント多いよね。日常がギャグ漫画みたい。学生時代は、下り坂になると車のエンジン切ってたね。ガソリンがもったいない、惰性で下れるからって。

夫:お金なかったしね~。

妻:運転してる最中に、いきなり運転席の背もたれが「バターン!」って倒れたこともあった。

夫:イスのボルトが腐ってたんだよね。あお向けにひっくり返った。

妻:「またおかしなことするんじゃないかな」って楽しみで、それで一緒にいるようになった。

夫:あのころ僕のアパートは鍵かけてなかったから、いつの間にか西家さん、居ついてたんだよね。

――出会って数カ月で交際がスタート。漫画好きという共通点も大きかった。

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