なるほど男の心理を深く読んでいる。

 話を戻そう。誤字、脱字、誤植だらけのひどいものもあったが、カストリ雑誌の発行は数百種とも1千種ともいわれた。つぶれては新雑誌をつくるというパターンを繰り返していたので、そのくらいの数になったのだろう。

 1部20円から30円程度(当時の銭湯の入浴料は約10円)で発売された。部数が多いものは書店で売られたが、多くは露店に並んでいたという。

『復録 日本大雑誌 昭和戦後篇』によると、エロを専門とする新聞もあった。東京・神田神保町に本社があった「実話新聞」は発行部数40万部。月に4回発行し、160万部を即売したという。しかも驚くことに、大阪と北海道に支局を持っていたそうである。記事はカストリ雑誌に負けず、生々しく、もっぱら劣情に訴える内容だったという。盛り場の猟奇をあばく特ダネ記事もあったとか。

 作家・坂口安吾の言葉を思い出す。

「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる」(『堕落論』)

 戦後とはいっても、戦争が終わっただけのことで、世の中は血なまぐさく、焼け跡には硝煙が漂っていた。廃虚と飢餓とインフレで騒然としていた。だが、庶民はとにもかくにも生きるよりほかにすべがなかった。カストリ雑誌はそんな時代を映す鏡だった。

 昭和25年、D・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』が発禁になったのを機に、当局は「カストリ雑誌」を目の敵にし、取り締まりを強化する。

 戦後の混乱が収まるにつれ、週刊朝日をはじめとする新聞社系の第1次週刊誌ブームが到来。昭和30年代には出版社系の週刊誌が続々と登場した。総合週刊誌が大衆の支持を得ると、カストリ雑誌はその使命を終えた。世は天下太平。高度成長の時代へと移りつつあった。

週刊朝日 2016年12月2日号