

腎臓の難病・ネフローゼと闘いながら将棋に命をかけた村山聖(さとし)。その人生を描いた映画「聖の青春」が公開される。天才・羽生善治の最大のライバルとされながら、29歳で亡くなった伝説の棋士だ。村山を演じた松山ケンイチと羽生善治の対談では、役者と棋士の共通点について話した。
※「松山ケンイチ 羽生善治の結婚写真見て『これだ!』と役作り」よりつづく
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羽生:松山さんはそうやって村山さんのことをいろいろ調べて、役になりきるわけですよね。
松山:はい。
羽生:作品が終わった後って、どうなるんですか? 村山さんの“感じ”みたいなものが、残像のように残ってるのか、だんだん通常に戻っていくのか。
松山:それはですね、まさに映画のなかで羽生さんが言ってた「(将棋の思考に深く入っていくと)戻ってこれなくなる」って感覚と同じなんです。役者も棋士も、深く深く、潜ってやっていくような感じがあるじゃないですか。
羽生:ええ、あります。
松山:でもそれで、戻ってこれなくなっちゃうこともあるんですよね。
羽生:ああ、やっぱりそうですか。
松山:ただ僕には家族がいるので、子どもたちに触れているときがリハビリだと思ってるんです。それで少しずつ、戻ってくるんです。
羽生:なるほど。
松山:今回はいままでやったなかで、一番戻ってこれなかったですね。でもいろんな意味で「戻らないと僕はこれから先、もう村山聖役か、相撲取り役しかできないぞ!」って。
羽生:あはは(笑)。
松山:そういう危機感を持って、なんとか戻りました。
羽生:撮影中は家でも四六時中、村山聖になってる感じなんですか?
松山:僕は撮影が終わったら、家に帰って普通の生活をします。でもすべてを完全には忘れちゃいけないんです。そうしないとセリフを言うロジックみたいなものも全部忘れちゃうんで。なので半分忘れて、半分は維持してる感じです。
羽生:半分ですか。
松山:役を持続させるためにその期間はずっと、その感覚をもたせなければならないんです。短い場面でも生活感やその人の癖みたいなものが自然に出てくるようにしたい。だから今回の作品では実際に太る必要があったんです。「太ったら、何がきつくなるのか」「どういう姿勢になるのか」、そういうことを体でわからないといけなかった。