松山ケンイチ 羽生善治の結婚写真見て「これだ!」と役作り (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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松山ケンイチ 羽生善治の結婚写真見て「これだ!」と役作り

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俳優松山ケンイチ(まつやま・けんいち、右)/1985年、青森県生まれ。2002年にドラマ「ごくせん」で俳優デビュー。映画「デスノート」のL役など多方面で活躍。16年出演作に映画「の・ようなもの のようなもの」「珍遊記」「怒り」がある棋士羽生善治(はぶ・よしはる、左)/1970年、埼玉県生まれ。85年に中学生棋士となり、96年に史上初のタイトル七冠を達成。2014年に公式戦通算1300勝を達成。16年10月現在、王位・王座・棋聖の三冠を保持。タイトル獲得数は97(撮影/写真部・加藤夏子、ヘアメイク/勇見勝彦[THYMON Inc.]、スタイリスト/五十嵐堂寿)

俳優松山ケンイチ(まつやま・けんいち、右)/1985年、青森県生まれ。2002年にドラマ「ごくせん」で俳優デビュー。映画「デスノート」のL役など多方面で活躍。16年出演作に映画「の・ようなもの のようなもの」「珍遊記」「怒り」がある
棋士羽生善治(はぶ・よしはる、左)/1970年、埼玉県生まれ。85年に中学生棋士となり、96年に史上初のタイトル七冠を達成。2014年に公式戦通算1300勝を達成。16年10月現在、王位・王座・棋聖の三冠を保持。タイトル獲得数は97(撮影/写真部・加藤夏子、ヘアメイク/勇見勝彦[THYMON Inc.]、スタイリスト/五十嵐堂寿)

 天才・羽生善治の最大のライバルとされながら、29歳で亡くなった伝説の棋士・村山聖(さとし)。その人生を描いた映画「聖の青春」が公開される。腎臓の難病・ネフローゼと闘いながら将棋に命をかけた青年。その難役に体重を増やして挑んだ松山ケンイチが、羽生善治との対談に挑む!

*  *  *
羽生善治(以下、羽生):映画からずいぶんおやせになりましたねえ!

松山ケンイチ(以下、松山):苦労しました(笑)。

羽生:松山さんは将棋を指されるんですか。

松山:はい、ずっとではないですが、小学校のころから。羽生さんの本もけっこう読ませていただいてます。11歳のとき、NINTENDO64のソフトで「羽生将棋」買いましたから。

羽生:そんな小さなときから!(笑)それはありがとうございます。

松山:でも原作を読むまで、村山聖さんの存在は知らなかったんです。

羽生:村山さんは本当に限られた時間のなかで、一回の対局や一回のチャンスにすべてをかけて、全力で打ち込んでいた。それが映画にも丁寧に、深く表現されていたと思います。

松山:僕はこの映画に思い入れがありすぎて客観的に見られないんですが、やっぱり羽生さん役の東出(昌大)君は、本当にそっくりだなって(笑)。

羽生:東出さんとは撮影の前にお会いして、当時の対局で使っていたメガネを差し上げたんです。

松山:いいなあ!

羽生:僕は25歳で七つのタイトルを取ったんですけど、その前年も前年も、近いところまで行ってダメだった。それを止めていたのが村山さんなんです。

松山:本当にライバルだったんですね。

羽生:一番最後に会ったのは彼が亡くなる3カ月前だったんです。広島でイベントがあって、彼がひょこっとやってきたんですね。本当に二言、三言、話をして帰っていった。そういうさりげないところが、すごく彼らしいというか。そのときが最後になるとは、まさか夢にも思っていなかった。

松山:村山さんっていろんな意味で、つかみどころがない人だと思うんですよね。ちょっと「動物的」なところがあるからだと思う。

羽生:そう、本当に「動物的」「野生児」みたいな感覚があった。指す将棋も基本やセオリーはあまり重視していなくて、人が見つけられないような、ちょっとトリッキーな、意表を突く手を特に終盤戦で見つけられる。だから逆転勝ちもすごく多かったんです。それに高倉健が大好きで、お菓子が大好きで。


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