ロフト代表・平野悠氏(撮影/岡田晃奈)
ロフト代表・平野悠氏(撮影/岡田晃奈)
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 山下達郎、サザンオールスターズ、BOOWYもステージに立った、日本のロックの殿堂と名高い老舗ライブハウス「新宿ロフト」が、この秋40周年を迎えた。数多くのミュージシャンが夢見た、その輝かしい軌跡を、オーナーの平野悠氏が振り返る。

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――10月初旬、山下達郎が2日間のアコースティックライブを開いた。計500人のライブに6万人の応募があった。

 東京ドームが埋まっちゃう数の人が来たかったわけですからね。達郎さんを間近で見られ、あんないいものがウチでできるなんて思わなかった。マイクなしのアカペラなんか、すごかったです。ウチでやってくれたのは40年近くぶりですが、やっぱり帰ってきてくれるとうれしいですよ。

――ライブハウス・ロフトの誕生は、日本ロックの最初の転換期のころだった。

 70年代はじめ、ロックは英語でやらないといけないというような縛りがあった。そこに、日本語でロックを歌って何が悪いんだって出てきたのが、はっぴいえんどなんです。細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂。4人の作る圧倒的な質の高さ。こんなに日本のロックって面白いのかってブッ飛びましたね。彼らのようなバンドを生で聴きたいのがきっかけでした。

――1971年3月、「烏山ロフト」をオープン。だが、ロックの流れるスナックだった。73年に念願のライブハウス「西荻窪ロフト」、その後、「荻窪ロフト」「下北沢ロフト」と出店。山下達郎は荻窪と下北沢を拠点としていた。

 高田渡に遠藤賢司、友部正人、久保田麻琴と夕焼け楽団──。新しいミュージシャンがどんどん出てきたころです。72年に解散したはっぴいえんどのメンバーが結成したティン・パン・アレーも出てくれました。細野さんが歌い、鈴木茂がギターを弾く。そこに山下達郎に大貫妙子、吉田美奈子、そしてユーミンらが、カウンターでコーラスに参加したりもしました。すごい顔ぶれですよね。

――76年10月、西新宿に「新宿ロフト」が誕生。

 3軒のライブハウスの集大成として、本格的なライブハウスがついにできたという感じでしたね。70坪あって、300人まで入った。スピーカーも当時一番でっかいの、コンソールもいいものを使って、これなら誰にも文句を言わせないぞって、力が入りました。

――オープンセレモニーと銘打った10日間の公演。鈴木慶一&ムーンライダース、桑名正博&ゴーストタウンピープル、矢野顕子、りりィ、山崎ハコらが出演。

“歴史的スケジュール”と言われます。「これが僕らの支持してきた音楽だよ」と、届けたかった。

――78年、新宿ロフトは「ザ・ベストテン」の生中継で一躍注目を集める。注目のアーティストを紹介する「スポットライト」のコーナーにジョギングパンツ姿で登場し、「勝手にシンドバッド」を披露したサザンオールスターズだ。彼らはかつて下北沢の店員だった。

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