桑田佳祐がコーヒーやビールを配っていました。彼らはお金がなくて、閉店後にウチの店の機材を使って練習していたんです。コンテストに優勝してましたから演奏はうまかったですが、最初は客が入んなかったですね(笑)。
――70年代後半、顔ぶれは、ニューミュージック系からパンク系にシフトする。
この時代も面白かったですね。豚の臓物を投げたザ・スターリンや、新しい挑戦をするバンドが出てきた。今は行儀のいいバンドが増えちゃいましたが、不良であればあるほど、ろくなやつじゃなければないほど、いい音を出す、というのがこの時代ですね。“一番危険なバンド”じゃがたらは「商業主義のロフトをつぶせ!」なんて叫んだりして、この野郎と思ったりしたんですが(笑)。いい音を出すからしょうがない。
――80年代にかけ、石橋凌がリードボーカルをつとめたARB、陣内孝則のザ・ロッカーズなどテクノやニューウェーブといった新たなムーブメントにのったバンドが出演し始める。ザ・ルースターズ、アナーキー、ケラ率いる有頂天らも登場。
その後、レコード会社が、レコードと同じ音でライブをやれって指示する時代が来た。ライブハウスは、レコードやCDを売るためのプロモーションの場になっていきました。ロックは予定調和じゃないほうが面白いと思っていますから、レコードと同じ音でやってどうすると思うんですけれど、彼らもレコードを売ることで生活が成り立っているわけだから。缶が飛んだり、けんかがあったり、照明が切れたり、そんなことがあるのがライブハウスだと思っていたのですが、混乱を嫌い、「あそこはヒドい」「もう出ない」という雰囲気になっていった。ロックは反権力、反体制だったじゃん、それなのに、がんばろうよとか手をつなごうよみたいな人生応援歌とか、いい加減にしろよと(笑)。ミック・ジャガーがいつ絆とかがんばろうよとか歌ったよ、と。
――日本のロックバンドのひとつの「到達点」が、氷室京介、布袋寅泰らのBOOWYだった。
曲もビジュアルも、ポピュラリティーあるカッコよさがそこにあった。ロックと歌謡曲との境目がなくなっていった時代です。
――99年、現在の歌舞伎町に移転。90年代はじめのバンドブームの終了とともに活気を失っていたライブハウスシーンも、近年、活気を取り戻す。
CDが売れない時代になったでしょ。だからライブを徹底的に面白くして、予定調和もなくした。試行錯誤するバンドが増えている気がします。
ライブハウスもクラブも行ったことがない若い子が多いです。どうやって音楽を聴くんだと言ったら、「YouTubeで適当につまんで」と言われ、がくぜんとしました。ライブとは「体験」だと思うんです。CDを聴くことは、強いて言えば「経験」かな。CDで経験して、ハマる。そうすると、聴くだけじゃ済まなくなる。生で見たい、「体験」しないとサマになんない、納得できない。これがライブハウスの妙味だと思うんです。
――記念企画「40YEARS×40LIVES」は11月末まで続き、ムーンライダーズやザ・クロマニヨンズ、戸川純、ラフィンノーズにKANA‐BOONら、歴史を彩るアーティストが連日出演する。
何周年とかいう記念はあまり好きじゃないんだけど、大物をくどきやすいんだよね(笑)。
――今回の企画で出演予定はないが、「最後に狙うのはサザン」と、いたずらっぽい笑みを浮かべる平野氏。
ウチで名前を売っておいて、なんで出ないんだ。ひょっとして、ロフトが嫌いなんじゃないのかとオーナーは嘆く、と書いてください(笑)。アイツら、これを読んだら焦るかな。
※週刊朝日 2016年10月28日号