作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は、鹿児島県志布志市が制作したPR動画は単に女性差別に留まらない問題であると指摘する。

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 スクール水着姿の女性がプールの中から「養って」とカメラに向かって言う。カメラのこちらには「僕」がいる。「僕」の姿は私たちには見えない。ただ「僕」が朴訥な調子で「彼女との不思議な暮らしが始まった」と語るのを聞きながら、「僕」の眼差しの中で少女がフラフープで腰を振ったり、眠ったり、食べているのを観察する。最後に彼女はウナギに変身し去ってしまうが、気がつけば、別のスクール水着少女が「僕」を水中から見上げ「養って」と言ってきた……。

 これ、鹿児島県志布志市が制作したふるさと納税のPR動画。養殖ウナギをアピールするのが目的だったというが、「女性差別だ」「児童ポルノだ」という批判が相次ぎ、1週間足らずで公式のページから削除された。

 私は海外からの帰路、成田空港で開いたSNSで、この動画を知った。見たとたん「あ~、帰ってきたわ~」と、日本を実感してしまった。それほど、既視感溢れる作品に見えた。

 児童が水着姿でアイスを舐めたり、シャワーを浴びている動画や写真集が一般流通で販売されている社会だ。これはポルノじゃない、何故なら水着を着ている、性器出てない、無邪気に遊んでるだけ……という理由で、それらは合法的に売買されている。

 また、少女を「育てる」欲望にも、社会は寛容だ。思い出したのは、2014年に岡山県で男が小学生女児を監禁していた事件が発覚したときのこと。「自分好みに育てたかった」と語った犯人に対し、「源氏物語」をひきあいに出し、実行に移してはアウトだが欲望としては「ある」という声が少なからずあがったことを、私は忘れられない。

 志布志市の動画で、この社会が随分前から、“そういうもの”に溢れ、慣れてしまっているのを実感する。行政がここまで鈍感なのは珍しいとはいえ、それはもう、私たちの社会が、引き返せないレベルまで、その手の欲望を育ててしまったのだということだろう。

 
 志布志市の担当者は「差別の意図はなかった」、制作した博報堂の担当者は「性的なものをイメージさせる意図はまったくありませんでした」とコメントを出している。実際、「このくらいで騒ぐなど世知辛い世の中だ」「出演女性は成人なのだから問題ない」という擁護の声もある。

 私は志布志市の動画は明らかに差別であり、暴力表現だと思う。差別や暴力は、「差別(暴力)ではない」ものとキッチリ明確に線が引かれているものではない。やっている側が「やってもいい」と思えるほど、行為が自然化され、公共化されることが、差別される側には最も過酷を強いられる。

 このような問題が起きると、道徳vs.表現の自由、という表現の方法を巡る枠組みの中での議論を強いられがちだけれど、そこから抜け落ちてしまうのは常に「男の欲望」だ。成人女性だからOKという低い水準の議論で留まらず、私たちがこの何十年かで育てあげた「欲望」が放置できないほどの社会問題になっている現実に向きあうべきだと思う。

週刊朝日  2016年10月14日号

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