ウェブを使った新しいジャーナリズムの実践者として知られるジャーナリストでメディア・アクティビストの津田大介氏は、海外で共感を呼んだ「実名報道」の例を挙げ、これからの「実名報道」について持論を展開する。

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 障害者に対する差別感情や憎悪を募らせ、今年2月まで職員として働いていた障害者施設に深夜押し入り19人を刺殺し、日本のみならず世界中を震撼させた神奈川県相模原市の殺傷事件。県警は犠牲者の性別と年齢は公表したが、名前は非公表とした。

 いかに残忍な事件であっても、マスメディアはこれまで事件の被害者を実名報道するのが通例だった。児童8人が犠牲となった2001年の大阪教育大付属池田小事件でも、警察は児童8人の名前を発表し、報道もされた。だが、今回は被害者が障害者施設の入所者であることから、名前などの情報を出したくないという遺族の意向もあり、警察もそれをくむ形となった。

 世間を揺るがす残忍な殺人事件が起きた際に、実名を報道するか否かは常に議論になる。

 特に05年に個人情報保護法が施行されて以降はこの傾向が顕著になり、実名報道に対して「実名を公開して好奇の目にさらすのは遺族にむち打つ行為」「他人の不幸を商売にして、お涙ちょうだいの物語を売るために遺族の感情に配慮せず、名前をさらしているだけではないか」など、マスメディアを批判する論調がウェブでも目立つようになった。

 
 日本人に多数の犠牲者が出た13年のアルジェリア人質事件や、先月のバングラデシュのテロ事件で被害者の実名が当初公表されなかったのも、こうした人々の意識の変化が背景にある。

 実名報道抑制の流れに対して、マスメディアの記者たちが異論を述べ、それに対してネットユーザーが大挙して非難するコメントを寄せ「炎上」させる事例も、ウェブ上の風物詩になった。

 事件の全貌(ぜんぼう)を多くの読者にリアリティーをもって伝えるという意味で、確かに実名報道は重要な要素だ。しかし、時代は変わった。実名が「必須」ではないということを考える時期に来ているのではないか。

 報道の自由度ランキング世界一のフィンランドのマスメディアは事件報道の際、よほど重大な事件でない限り、加害者も被害者も実名報道はしない。今回のケースのように遺族が公表を希望しない場合、それを無視してまで伝えるだけの公共性があるのか、十分に精査されなければならない。

 6月13日、前日に起きた米オーランド銃撃事件を受け、CNNの看板キャスター、アンダーソン・クーパー氏は事件現場となったクラブ前で現場リポートをした。その際、クーパー氏は犠牲者48人の名前と写真を画面に映し、取材でわかった彼らの人となりや人生を嗚咽(おえつ)交じりで言葉を詰まらせながら紹介。この様子を見た多くのツイッターユーザーが共感の声を寄せた。

 マスメディアの人間は、実名報道の意義を上から目線で語る前に、クーパー氏の「実名」報道がなぜ多くの人の心を打ったのか、考えたほうがいい。実名報道そのものが批判されているのではなく、過熱取材も含めた事件報道のあり方が問われているのだ。

週刊朝日 2016年8月12日号

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津田大介

津田大介

津田大介(つだ・だいすけ)/1973年生まれ。ジャーナリスト/メディア・アクティビスト。ウェブ上の政治メディア「ポリタス」編集長。ウェブを使った新しいジャーナリズムの実践者として知られる。主な著書に『情報戦争を生き抜く』(朝日新書)

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