『ラムゼイ・ルイス・イン・東京』
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Ramsey Lewis "Live" In Tokyo (Globe/Cadet)

 1967年から1969年に来日したジャズ・ミュージシャンは年間で10人(グループ)余り、彼らのすべてが録音を残したわけではないし、ライヴ作となると実に少ない。和ジャズが活況を呈したことも一因だろう。1966年に活動を始めたタクト・レーベルの成功をうけて各社が続いた。来日ミュージシャンの録音もそんな趨勢に連動、日本人ミュージシャンと共演したスタジオ録音が、かつて中心だったライヴ録音にとって代わっていく。1967年のチャーリー・マリアーノ(アルト・サックス)、ヘレン・メリル(ヴォーカル)、1968年のマリアーノ、ハンプトン・ホーズ(ピアノ)、メリル(前年の来日を機に滞日、来日組には数えられまい)、ロイ・ヘインズ(ドラムス)、1969年のクリス・コナー(ヴォーカル)、ロイ・エアーズ(ヴァイブ)、ニューポート・オール・スターズらの作品はいずれもそうだ。ラムゼイ・ルイス(ピアノ)の本作がその3年間に吹き込まれた唯一のライヴ作となった。

 1968年9月9日、ルイスはクリーヴランド・イートン(ベース)、1969年に「アース・ウィンド&ファイア」の前身となるバンドを結成するモーリス・ホワイト(ドラムス)を従えて来日、ルイス夫人ほかが同行した。1965年に《ジ・イン・クラウド》が大ヒットし、我が国でもリー・モーガン(トランペット)の《ザ・サイドワインダー》ともどもラジオから流れない日はなかったほどだったから待望の初来日だったのだろう。何か奥歯に物が挟まったような言い方になったのはこういう事情があるからだ。1969年、筆者は某大学の軽音楽部に入部、初の集会で自己紹介に続いて好きなミュージシャンをあげさせられた。まずはドン・チェリー(コルネット)の名をあげて感心されたが、次いでルイスをあげて失笑される羽目に。時代は「政治の季節」で、シリアスなものを尊ぶ空気に覆われていた。色ものの類と見なされていたルイスの公演に我がファンはどのように接したのだろうか。

 9月10日に記者会見とレセプション・パーティーが、11日、17日、18日に東京公演が催された。東京公演だけで3度というのは大したもので、当時のファンが決してシリアス一辺倒ではなかったことが窺える。本作は18日に録られ、19日にルイスら関係者一同がモニター、シカゴでの選曲と編集を経て東京に送り返され、日本ビクター傘下のグローブ・レーベルから発売(アナログ盤ジャケットにはカデットのロゴも表示されている)された。

 好意的な拍手と歓声で幕開け、《ジ・イン・クラウド》が始まるやいなや聴衆の手拍子が自然発生、それをバックに闊達でゴキゲンなプレイが続き、やんやの喝采のうちに終わる。一転して《セシール》はソウルフルなバラード、ルイスの知的なセンスが知れる佳演だ。《アンチェイン・マイ・ハート》はテンポが速めで手拍子は萎えるが、これまた大喝采を浴びる。ワルツ調のスウィンガー《世界は愛を求めて》は中盤でヒート・アップ、終盤にクール・ダウンする構成が劇的だ。《ソング・フォー・マイ・ファーザー》とは珍しいが、テーマに続いてホワイトのドラムスとカリンベがフィーチャーされる。後者にホワイトの志向が窺えて興味深い。この夜、最大の喝采を浴びた。中盤と終曲部を除いてソロで通す《ソウル銀座》はブルースが滴る絶品だ。《ハング・オン・スルーピー》で始まるメドレー3曲はジャズ・ロック大会、怒涛のような拍手と歓声をもってコンサートは幕を降ろす。

 サイドメンはといえば、イートンは重厚かつツボを心得た好手だ。ホワイトは小粒だがライトでタイト、楽想に適っていてヘヴィー級のイートンとの相性もいい。それにしても聴衆の熱狂には驚かされる。演奏の充実度に照らせば空騒ぎではない。シリアスなものが幅を利かせた時代でも耳の柔軟なファンは少なからずいたということだろう。『ジ・イン・クラウド』(アーゴ)に迫る名盤とまでは言えないがヒット曲集としても楽しめる快作だ。

【収録曲一覧】
1. The 'In' Crowd
2. Cecille
3. Unchain My Heart
4. What The World Needs Now
5. Song For My Father
6. Soul Ginza
7. Hang On Sloopy
8. Ode To Billy Joe
9. Wade In The Water

Ramsey Lewis (p), Cleveland Eaton (b), Maurice White (ds)

Recorded At Sankei Hall, Tokyo, September 18, 1968

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