「悦子さんが水木さんの手足になっていたようで、面倒見がいいなと思っていました。毎日、正午ごろに出勤するのを見かけていたのに、ここ3週間ほど姿が見えないので心配していたところでした。亡くなる前日、長女の尚子さんが急いでどこかに出かけていく様子だったので、何かあったのかなとは思っていました」

 1カ月ほど前、店の前にタクシーを止めて歩道に降りる際に転倒したときの様子が印象に残っている。

「私の妻と悦子さんが慌てて水木さんを起こしたんです。そのとき、妻に向かって『あなたに助けてほしくて、わざと転んだんだ』と笑った。ふだんは無口でしたが、やっぱりユーモアの人だなと思いました」

 自宅に近い天神通り商店会の土田衛会長(47)は、通りにある鬼太郎モニュメントの塗り直しを終えていなかったことを後悔している。

「色が剝がれ、先生から『そろそろ塗り直したほうがいいんじゃない』と言われていた矢先でした。かつてモニュメントが盗まれた際には、『返せ』とは言わず、『妖怪のたたりがないといいけれど』。汚れていたときには『掃除しろ』でなく『妖怪が泣いているよ』と諭した。『ご冥福をお祈りします』と言うべきところだけれど、先生には『妖怪の世界でもご活躍されてください』と言いたい」

 水木さんは「妖怪の話ができることは平和な世界の象徴だ」と何度も語っていた。本誌の取材でも、こんな話をしていた。

「妖怪が身近にいた時代のほうが幸せだったと思う」

「都会は夜も明るくてダメだね。子どものころは闇夜の暗さを経験して、想像力を働かせないと」

「パプアニューギニアのように、人間が妖怪の気配を感じられるくらいの環境で暮らすのが本当の幸せなんじゃないのかな」

 妖怪の世界から見下ろす日本が、幸せそうに見えているだろうか。

週刊朝日  2015年12月18日号