テナー・マッドネス/ソニー・ロリンズ
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「少しでも良い音でジャズが聴きたい」

 最初は誰でも純粋にそう思ってオーディオをはじめるのだが、だんだん肝心のジャズよりも、オーディオ機器の組み合わせのほうが気になってきて、ああでもない、こうでもないと思いをめぐらせるようになる。

 また、レコード蒐集も、聴くことより、カタログ片手に「いかにして集めるか」に重点が移り始めたら要注意で、やがて「音楽を聴く」という当初の目的から大きく逸脱しはじめる。

 このように、「手段」が「目的」化した者のことをマニアという。

 そうだ、本日は、わたしがジャズの世界に入り込むきっかけになった話をしよう。

 わたしが実家で理容師の見習い中だった頃のこと、当時、給料(というか小遣い)は、週払いで、定休日の月曜に、わずかな小銭をわたされるという、まことにひどい待遇であった。

 いくら親子でも、これはないだろうと不満たらたら。月曜の昼間から遊んでくれる友達がいるはずもなく、暇を持て余したわたしは、わずかな給料を増やしてやろうとパチンコ屋に通うようになる。

 ギャンブルというのは、よくできたもので、たとえ勝っても、必ずその金を持ってギャンブルをしに戻ってくる。最初は軍資金を増やす目的だったのが、やがてギャンブルそのものが目的になる。マニア心理とまったく同じである。

 さして勝負強いわけでもない若造が、パチンコで儲けることなどできるはずがない。

 ごくたまに勝つこともあるが、「ケツの毛までむしられる」とはまさにこのことで、帰りの電車賃まですってしまったこともあった。

 きわめつけは、月曜の朝、もらった小遣いを持ってパチンコ屋に並び、開店わずか15分で全部なくなったときのこと。せっかくの休日が10時15分で「終わり」である。トボトボと家に戻る情けなさったらなかった。たとえわずかな小遣いでも、父母が額に汗して働いたお金を、こんな愚かなことに使ってしまったことを、心から申し訳なく思った。

「こんなことしてちゃだめだ、パチンコはもうやめよう。そのかわりに、ジャズのレコードを買おう」

 すでに何枚かのジャズのレコードは持っていたが、本腰を入れて聞き出したのは、恥ずかしながらパチンコをやめる決心をしたその次の週からだった。

 ちょうどファンタジーから廉価輸入盤のOJCシリーズが大量に出ていて、少ない小遣いでも名盤が買えた。ソニー・ロリンズの『テナー・マッドネス』とか買って、喫茶店でコーヒーを飲みながらジャケット裏面の英文ライナーノーツを眺めていると、将来への自己投資をしているんだという満足感と、妙な優越感を感じたものだった。

 さらに自宅に戻り、レコードに針を落とすと、その音のよさに感激した。「こんなに古い録音なのに、なんてクリアーで澄んだ良い音なんだろう」

『テナー・マッドネス』は1956年の録音だが、1956年といえば、エルヴィス・プレスリーが「ハウンド・ドッグ」を吹き込んだ年である。'50年代といえば、あの程度の音の悪さと覚悟してたから、ソニー・ロリンズのテナーの音の生々しさにゾクゾクした。もっとも、ジョン・コルトレーンとロリンズ、どっちが吹いてるのかよくわからなかったけれど。

【収録曲一覧】
1. Tenor Madness
2. When Your Lover Has Gone
3. Paul's Pal
4. My Reverie
5. The Most Beautiful Girl In The World

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