私も15歳で家督を継いだその翌年の春に、最初の公式行事として参加することになった。当主として初めての仕事であり、威厳をもって行事に当たらねばと力んでいた。しかしながらまだ何分中学生であり、右も左もわからない。行列の歩き方も、祝辞の書き方・読み上げ方もわからない年である。さらにサッカー場か野球場かと思うほどの多くの観客に囲まれ、非常に緊張していたことをよく覚えている。幸い周りの方々の温かいサポートと周到な準備によって大恥をかかずに済んだ。後日談ではあるがその話を菩提寺である長国寺の当時の住職にしたところ、「お殿様は間違っても構いません。昔から家臣が何とかしたものです。ただうろたえてはいけません。周りもうろたえられると助けられませんから」と言われて、かなり気が楽になった。同時にある意味いい加減になった気がする。

 今年も御開帳の年にあたり、3月に回向柱寄進の行列に参加した。ただ今年は例年と違った意味で張り切っていた。息子2人が大きくなって手がかからなくなってきたので、初めて家族が寄進行列を見学することになった。これはある意味数万人の見学者よりも恐ろしい話である。今回ばかりはいい加減なところは見せられない。伝統行事の行列でコケようものなら、家族会議で手厳しく指摘されるのが目に見えている。

 幸いにして当日は大きな間違いもなく、父親の威厳を保つことができた。15代にはこんなふうに身近に当主の振る舞いを見ながら、代替わりに備えてもらいたいと思っている。今でも伝統存続のために、「静かな戦い」が続いているのである。

週刊朝日 2015年10月16日号

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