採決をめぐって与野党が攻防を繰り広げた安全保障関連法がついに成立した。英エコノミスト誌記者のデイビッド・マックニール氏、前NYタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏と外務省OBの孫崎享氏が、国会の非民主主義について鼎談した。
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孫崎:安全保障関連法がついに可決・成立しました。国会の周りでは反対派のデモが今も続けられ、若者から高齢者まで幅広く参加するなど、大きなうねりとなりました。
ファクラー(以下、F):安保反対運動は、世の中の流れを大きく変えたと思う。この3年ほど、日本はネット右翼のやりたい放題だった。それが怖くて言論界が萎縮してしまい、国民的な議論が抑えられていた。そこに大学生を中心としたSEALDs(シールズ)が現れて、国会前では数万人規模のデモが起こった。新大久保(新宿区)での数十人規模のヘイトスピーチデモと比べてスケールがまったく違う。子ども連れのお母さんやサラリーマンも参加していた。明らかに特定のイデオロギーを持つ人だけではなかった。これまで右寄りの議論しかなかったのが、リベラル勢力が出てきてバランスができた。
マックニール(以下、M):右派と左派のバランスが変わったというのは、同じ意見です。SEALDsの出現などとともに、市民が立ち上がった。これは興味深い展開になりました。一方で、今は右派が安堵して、静観しているだけかもしれない。今後、安保反対派の勢力がどのように政治的な力に結びつくのか。そこに注目しています。
孫崎:さっそく、共産党の志位和夫委員長が、他の野党との選挙協力も含めた「国民連合政府」構想を出しましたね。7月末までは、共産党は沖縄以外での選挙協力はないと言っていた。それが変わったのは、デモのエネルギーを直接感じたからではないでしょうか。
M:英国を例に出すと、ブレア政権は、米国のイラク戦争、新自由主義的経済政策などに対し、国民的合意を得ないで支持をした、として問題視されました。それが今年9月、「反緊縮」「反核」「反武力行使」「反新自由主義」をスローガンにしたジェレミー・コービン氏を労働党の新党首に押し上げる原動力になった。デモが政治的勢力として姿を現したのです。
孫崎:共産党と他の野党の連立ができなくても、与党の脅威になることは間違いない。民主党が勝った2009年の衆院選を分析すると、ほとんどの小選挙区に候補者を立てていた共産党が、異例的に候補者を絞っていた。選挙で候補者を立てないことは、結果として野党と選挙協力をしたことと同じになる。
M:日本で最大の問題は、政策の是非を堂々と議論せず、非民主主義的に決定してしまうことです。政権に白紙委任しすぎ。たとえば、国民的な議論もなく、1978年に厚生省(当時)と靖国神社の宮司の間で、14人のA級戦犯の合祀を秘密裏に決めた。後に政治問題となり、外交面でも大きな影響を与えました。
F:メディアにも大きな責任がある。戦後70年の歴史で、戦争責任、靖国神社、自衛隊の違憲論議、慰安婦問題などはタブー扱いされてきた。しかし、これこそが国民的議論を起こすためのツボです。今、日本人には率直な議論が必要とされている。メディアがそこから逃げてはいけない。私はツボを押し続けるから、ネット右翼からイヤがらせされるけど(笑)。
孫崎:昭和天皇は敗戦の責任をとって退位すべきだったと思っています。こういった議論も、もっとメディアでもされるべきでした。
M:13年に、伊勢神宮で20年に一度の遷宮がありました。そこで、最大の儀式である「遷御(せんぎょ)の儀」に、安倍首相と、麻生太郎副総理など8人の閣僚が参列しました。戦後、内閣総理大臣が遷御の儀に参加したのは初めてでした。伊勢神宮には、三種の神器のうちの一つがあります。この参列を見て、私は日本は保守派へシフトしていると感じました。ところが、NHKや大手新聞各紙は、このことについてほとんど分析しませんでした。ただのお祝い事として報じたのです。
(構成 本誌・西岡千史/松元千枝)
※週刊朝日 2015年10月9日号より抜粋