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 マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社を経て、芸人になった異色の経歴を持つ東京大学工学部卒の石井てる美さん。受験の猛勉強が芸人としての生活に生きているという。

*  *  *

 東大に合格したのは、中学受験の挫折があったからなんですよ。第1志望に落ちまして。私はそんなに思い入れがなかったので、まあいいや、ぐらいに思っていたんですけど、帰りの電車で、ふと見ると、母が泣いているんですよ!

 母の涙を見たのは初めて。すごいショックで、中学に入ってから猛烈に勉強し始めたんです。

 授業をしっかり聴いてノートを取り、“午後の世界史”という睡魔とも闘い、定期テスト前は徹夜もしました。英語塾には中1から通って。

 そのかいあって、高3の春には進学先の選択肢に東大が入りました。

 文IIIに入って、ビートルズサークルでコピーバンドをしたり、初めて彼氏ができたり。学生生活をそれなりに謳歌しました。

 転機は3年に上がる際の進学振り分け。工学部社会基盤学科のパンフレットに「国際社会で活躍できるのは何もイチローや浜崎あゆみだけではありません」という面白いコピーを見つけたんです。3年生でタイの研究施設に行けるらしい。

「これだ!」

 と、工学部に“理転”したんです。早くフィールドに出たかったんですよ。

 9割5分はそのまま大学院に進むような環境だったので、私も学部後は修士課程に進みました。院生のときにはデンマークやフィリピンのアジア開発銀行でのインターンも行けました。

 でも、そう人生は甘くない。みんなが憧れるマッキンゼーに入社するところまでは順風満帆だったんですが、仕事のプレッシャーに押しつぶされました。勝手に自分を追い込んで、挫折。

 初めてどん底まで落ちました。朝、会社に向かうんですけど、車が轢(ひ)いてくれたらいいのになあ、とまで考えて。うつ状態ですよね。

 芸人になろうと思ったのは、好きなことをして生きたいという自分の原点を思い出したから。コンサルタントになりたくて生きてきたわけじゃない。評価におびえて振り回されなくてもいいと気づいたからです。

 今思うと、すべてお膳立てしてもらって、チャンスを得られただけだったのに、自分の実力だとおごっていたんです。目標設定してクリアすることに喜びを感じていただけだった。

 でも、あのころの猛勉強が芸人に生きている部分もあるんですよ。いま、米国の人気ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」のエロキャラが日本史を解説するってネタを売り出し中なんですけど、年号とか出来事とかスラスラ出てくる(笑)。

 東大時代にやり残したことはそんなにないけど……。こんなことなら、もっとたくさん恋しておくんだった。女芸人になって30過ぎるとモテなくなるというのは想定外でした(笑)。

週刊朝日  2015年3月20日号

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