日本を代表する俳優・高倉健(本名・小田剛一)さんが死去した。83歳だった。俳優で歌手の武田鉄矢さんは健さんの思い出をこう語る。

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 健さんと「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年)で共演できた思い出は生涯の宝です。山田洋次監督に声をかけていただいて、映画の現場に初めて入った何もわからない僕に、いつもあたたかい言葉をかけてくださいました。

 ロケ中、健さんがこっそり丸太小屋のレストランを借り切って、僕と桃井かおりだけを食事に連れていってくれたことがありました。

 そのとき、僕が、

「毎日、怒られてばかりでめげちゃって……。監督は僕をいじめたいから呼んだんじゃないですか」

 こう愚痴をこぼしたら、

「俺は、監督はいい人を選んだと思うぜ」

 と励ましてくださった。

 台本の読み方もわからない僕を哀れに思ったのでしょう。「この映画のテーマがわかるか」と語ってくれました。健さんは「おかえりなさいだ。監督はおかえりなさいの声がする幸せを描きたいんだ」と言う。若い僕は「そんなもんですかね」と返したのですが、「やがてわかる」って。

 また、僕が下痢して大草原を走るシーンでは、リハーサルで一度噴き出した後、

「いつもウケるのはおまえばっかりだな」

 と小さな声でいたずらっぽくほめてくださった。

 健さんはみんなを励ましたり、ほめたりしてくれる方でした。「人間は他人に優しくすることで心が豊かになれる」と考えていたのだと思います。

 その一方、自分自身にはとても厳しい方でした。ロケの待ち時間にずっと立っているという伝説は本当でした。フィルムに写らない無駄や過剰、努力を大事にしていたのだと思います。

 なぜ、あんなに優しかったのか、あんな演技をしていたのか。少しずつわかってくるところはありますが、まだまだ理解できないことは多い。人生の宿題を出していただきました。

 ロケ中、僕が「健さんは富士山だ」と伝えたこともあります。「立っているだけで絵になるんです」って。精いっぱい思いついた僕なりの愛情表現だったのですが、それに対して健さんは一言、「富士山は寂しいぞ」とおっしゃった。僕は「健さんは哀しさや寂しさをたくわえてきた人なんだ」と見方が少し変わりましたね。

 健さんはかつての日本人が持っていた“何か”を表現できた唯一の俳優だと思います。黙っているけれど語りかけてくる「オヤジの背中」のような存在でした。

週刊朝日  2014年12月5日号