国際的な認知症サミットの後継イベントが東京で開かれ、そのオープニングスピーチを依頼された本誌記者の山本朋史(62)。「ボケてたまるか!」の連載を、イベント準備委員が読んだことがきっかけだった。ボケの恐怖に脅える記者に降ってわいた、緊張と失敗の「番外編」とは。
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開会して最初のスピーチは厚生労働省の老健局長だった。3人目は福島第一原発事故の国会事故調査委員会の委員長を務めた黒川清・政策研究大学院大学教授。この人の英語スピーチが見事だった。ぼくは同時通訳のイヤホンを日本語に合わせて聞いたのだけれど。
ぼくの前が隣の世界保健機関(WHO)精神保健部長、シェカール・サクセナさんだ。ここまでくると他人のスピーチを聞いている余裕などない。ぼくはスピーチ原稿をもう一度読み返して、どこでジョークを入れるか確認した。司会進行の女性がぼくを紹介した。会議場正面にはぼくの写真が映し出された。
ぼくは原稿を入れたiPadと週刊朝日を持って登壇した。自己紹介のときには週刊朝日を掲げて、
「週刊朝日という雑誌の記者をしています。昨年12月に軽度認知障害と診断された患者でもあります」
挨拶の次はジョークだ。
「昔から童顔で中年不良のように見えますが、もう62歳のジイさんです」
本当はがきデカと言うつもりが、外国人には理解できないと思って変えた。会場はシーンとなった。笑いがとれない。すべった――。
「仕事でインタビューをすることが多いのですが、60歳を過ぎてから漢字を思い出せず、ひらがなばかりでまともなメモが取れなくなりました。取材日程のダブルブッキングも多く、自分が壊れていくと思い、筑波大学の朝田隆教授のもの忘れ外来に駆け込みました」
ここで会場内に笑いが起きた。同時通訳なのでよくわからないが、「自分が壊れる」に反応したようだ。
「料理では火傷し、ダンスでは女性の足を踏む。失敗の連続でした。でも、ケア仲間は『最初はみんなそうですよ』とあたたかく励ましてくれた。患者仲間の交流が大切だと感じました」
ここでも、会場から笑いが漏れた。作ったジョークより、ぼく自身の飾らない失敗談のほうが参加者の心に届くのだと思った。
「認知症には、まだ特効薬はありません。効果のある安全な薬ができるまで、私はトレーニングを続けて症状を遅らせようと思っています。みなさんの研究成果に期待しています」
なんとかまとめて着地した。会場からはたくさんの拍手をいただいた。ぼくは面識はなかったが、真正面に座っていた黒川さんの目を見て話をしていた。終わって挨拶をすると、
「よかったよ」
と言われた。数人がぼくに握手を求めてきた。サクセナさんも。少し緊張したが、挨拶をしてよかった。
その日の夕方にはレセプションにも参加した。朝田医師も来ると聞いていたからだ。エレベーターでバッタリ、朝田医師と会った。会場に入ると、朝田医師は友人の外国人研究者を紹介し、通訳までしてくれた。またしてもぼくは落ちこぼれの身を痛感した。せっかくの機会なのに英語力がないと通用しない。
途中でトイレに行って驚いた。小便をしようと便器の前に立ってファスナーを下ろそうとしたら、すでに開いていたのだ。
「まさか!? オープニングスピーチのときから開いていた?」
青くなった。いつトイレに行ったのか。スピーチの直前に行ったことは思い出したが、その後の記憶は飛んでいる。昼過ぎに会場から会社に戻ってトイレに行ったに違いないと思い直した。やはり、着慣れない背広を着るとミスが出る。
※週刊朝日 2014年11月28日号より抜粋