ドラマ評論家の成馬零一氏は、NHK連続テレビ小説『花子とアン』について「大きな構成ミス」があるのではと評論する。
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主人公よりも敵役の方が魅力的に映ってしまうことは映画やドラマではよくあることです。むしろ、魅力的な敵役こそが名作の条件といっても過言ではありません。しかし、敵役が魅力的すぎて、物語のバランスが壊れてしまったとしたら……。
NHK連続テレビ小説で毎朝放送中の『花子とアン』で、この数カ月起こったことは、そんな予想外の事態でした。
『花子とアン』は『赤毛のアン』の翻訳者として知られる村岡花子の生涯を描いた作品です。週間平均視聴率は、21%超(関東地区)を記録している大ヒットドラマです。
しかし、ネット上では、吉高由里子演じる花子の優柔不断な性格や、歴史考証の甘さなど、脚本に対する批判で溢れかえっています。
確かに花子の女学校時代が終わって以降、物語は迷走気味です。最大の問題は想像の翼を広げることや“学問や教養を通して花子が成長していく姿”に説得力がなく、明るくてかわいい子が何もしなくても周囲がお膳立てをして幸せになるというご都合主義のドラマに見えてしまうことだと思います。
しかし、それでも『花子とアン』が面白かったのは、花子の親友の蓮子(仲間由紀恵)の物語が、目が離せないものとなっていたからです。
蓮子のモデルは歌人の柳原白蓮です。社会運動家の宮崎龍介(作中では宮本龍一)と駆け落ちし、福岡の炭鉱王と呼ばれた夫の伊藤伝右衛門(作中では嘉納伝助)に対し絶縁状を送りつけた白蓮事件は当時の新聞で大きく取り上げられました。
決定打となったのは第63回。
「私のどこを好きになったんですか」と詰め寄る蓮子に対して、伝助は「お前の華族っちゅう身分と、そん顔たい」と答えます。蓮子は「そんなの愛じゃないわ」と言って絶望し、後に身分や外見ではなく、内面と教養を認めてくれた龍一の元に走ることとなる決定的な場面です。
しかし、本来なら悲劇のヒロインとなる蓮子よりも、見合いの席で蓮子に一目惚れした伝助の「惚れたとたい」という無骨な一言に、多くの視聴者は魅力を感じたのです。
その後の伝助は、男前状態の連続です。白蓮事件では、蓮子よりも彼女を許す伝助の方が印象的でした。関東大震災の後には、救援物資を持って花子たちの元に駆けつけました。
もしかしたら、伝助は、吉田鋼太郎の演技があまりに素晴らしかったために、魅力的になりすぎたのかもしれません。あるいは、脚本家・中園ミホの思い入れが強くて、どんどん筆が暴走したのでしょうか?
いずれにせよ、主人公の花子よりも脇役の蓮子、しかもその敵役に当たる伝助が一番魅力的に見えるというのは、物語としては大きな構成ミスです。しかし、たとえ作品が壊れたとしても、魅力的な人物が描けたのだとすれば、それはドラマとして意義のあるものなのかもしれません。
今後、物語は昭和の戦時下へと向かっていきます。果たして、今までイマイチだった花子の物語は面白くなるのでしょうか。こちらもじっくり見守りたいです。
※週刊朝日 2014年8月22日号