みのもんたさん1944年、東京都生まれ。文化放送を経て、79年からフリーアナウンサーとして、番組の司会、キャスターを務める(撮影/写真部・工藤隆太郎)
みのもんたさん
1944年、東京都生まれ。文化放送を経て、79年からフリーアナウンサーとして、番組の司会、キャスターを務める(撮影/写真部・工藤隆太郎)
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 今から9年前、朝と昼の生放送の番組で司会をしていたみのもんたさん(69)を、腰痛が襲った。腰痛の正体は脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)。紅白歌合戦の総合司会を終えた2006年正月に入院し、手術を受けた。みのさんは、治療に際しては信頼できる医師に出会えたというが、医師を選ぶときには独自の視点で判断しているという。当時の話を聞いた。

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 05年の春、突然腰に激痛が走りました。立っていると腰が重くなってきて、本番では、テレビに映らないように透明のプラスチックの台に腰掛けていました。それがだんだん、座るのもつらい、寝るのもつらいという状態にまでなりました。

 古い付き合いだった慶応大学病院院長(当時)の村井勝先生に相談して、3人の医師を紹介してもらいました。

 1人目の先生の診断は椎間板ヘルニア。2人目もまったく同じ診断でした。もうこれでいいかなと思ったんですが、「アメリカから帰ってきたばかりの若手医師がいるから」と紹介されたのが、福井康之先生(国際医療福祉大学三田病院副院長)でした。

 福井先生の診断は一発でした。「ヘルニアではありません。背骨が変形して、神経が通る脊柱管が狭窄を起こしています」と言われました。

 話を聞いているうちに、この先生に任せようと思いました。説明がダイナミックでスピーディー。「麻酔科医はこの先生にします、神経のプロである脳神経外科の先生もつきます」と、チームプレーをすごく考えてくれていたのも、安心感がありましたね。

 手術は11月に決まりました。しかしその直前、NHKから、紅白歌合戦の司会の話が来たんです。やりたいですよ、アナウンサーだから。それで福井先生に相談したら「紅白でしょ、それはやらないと。痛みは止めますから」って言ってくれたんです。注射で痛みを抑えて紅白に臨みました。宙づりのシーンもありましたが、全然痛くなかった。無事終わって、そのまま入院しました。

 1月4日に手術をしました。入院から手術まで、全部カメラで撮って、テレビで映したんですよ。福井先生は嫌だとも言わず、「病気の啓蒙になるからどうぞ撮ってください」と。大変な反響で、福井先生のところも長蛇の列になったそうです。その後、手術から今に至るまで、幸い痛みはありません。

 手術をする医者は、年をとっているかどうかではなく、場数が大事だと思います。自ら治療せずにふんぞり返っているベテランの先生より、若くても一生懸命やって、場数を踏んでいる先生がいい。経験値を積んだ先生をいかに嗅ぎ分けるかが大事です。

 僕には、「不整脈ならこの人」「目ならこの人」「胃と大腸の検査はこの人」と、村井先生が紹介してくれた信頼できる医師たちがいます。僕の健康管理は女房が徹底的にやってくれていて、どんなに忙しくても、女房に引っ張られてこの先生たちに定期的に診てもらっていました。僕のかわりに、女房が先生のところに相談に行ってくれたこともありましたね。

 そんな女房をがんで亡くしました。今年ちょうど三回忌です。骨の中にできる珍しいがんで、見つかったときは全身に回っていました。僕自身は腰の手術もうまくいってここまで可もなく不可もなくきているけど、肝心の女房が先に逝っちゃった。どうして女房をもう少しケアしてあげられなかったのか、それだけが心残りですね。

 福井先生のところには、定期的に検診に行っています。検診というより、飲みに行っています。僕の先生たちは、飲みに誘うと絶対に断らない。だからなんでも話ができるんです。女房が築いてくれた「名医のチーム」ですね。

週刊朝日  2014年6月6日号