「元気ですかっ。元気があれば、当選もできる!」

 当選確実が報じられると、高らかに猪木節が響いた。18年ぶりの国政復帰だ。

 1989年の参院選に際してスポーツ平和党を結成、「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」のキャッチフレーズで約100万票を集めて当選を果たしたアントニオ猪木氏(70)。今回は日本維新の会のガウンを身にまとい、比例候補として独自の戦いを繰り広げていた。富士山上空を真っ赤な「闘魂ヘリ」で周回して投票を呼びかける「空中戦」、人の集まっているところで選挙カーを降りて演説を始める「ゲリラ戦」――。

 選挙戦も終盤の7月18日、猪木氏は北の大地へ降り立った。札幌の大通公園は、「松山千春と鈴木宗男が来たときより集まったね」(地元住民)というほどの人だかり。猪木氏の演説も滑らかだった。

「ゲンを担いでトンカツを食べてきたんだけど、ヒレカツ(比例で勝つ)のほうがよかったね!」

 ススキノを回ればサラリーマンが駆け寄る。現役時代を知らないという女子高生や20代の女性も写真を撮り、握手を求める人気者ぶり。体罰問題の影響で封印と報じられていた「闘魂ビンタ」も、希望者が次々と現れて“雪崩式”に解禁、「君は何が問題なんだ?」「チンチンは勃つのか?」などと発しながら、闘魂を“注入”するのだった。

 そんな猪木氏だが、かつての選挙とは違う、時代の変化を感じてもいた。「前の選挙は向こうから人が寄って来たからね。今回は、俺から人のいる所に突っ込んでいく」。

 プロレスラーを引退して15年。188.5センチだった身長は、年とともに縮んで183センチに。当選会見で登壇する際には、つまずいて転倒しそうになった。かつての迫力は薄れてきている。それでも35万票を獲得し、「東アジアの開港など、外交専門でやりたい」と話す猪木氏。得意のプロレス外交で拉致問題に風穴をあけることができるか。

週刊朝日 2013年8月2日号

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