「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」など、人間の心を揺さぶる物語を書き続けている脚本家の山田太一さん。母校である早稲田大学で出会い、親友となった寺山修司さんとの日々を振り返る。

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 大学へ入学してすぐに小説を書いて学生小説コンクールに応募して佳作をいただいたんです。河出書房の「文藝」に大学名と学部と名前が掲載されたのですが、ぼくの書いた字が斜めに流れていたから「山田」ではなく「山匁」と誤って載ってしまったんです。

「ヤマモンメって書いてあったけど、あれ、山田のこと?」

 そんなふうに話しかけてきたのが、寺山修司でした。寺山もそのころ、短歌で賞をとっていたので、それから文学の話になったのかな。

 お互いに人恋しかったんでしょうね。高田馬場のホームや公園で何時間もしゃべっていたり、古本屋を巡ったりしました。

 2年のときに彼が腎臓を患って新大久保の中央病院に入院しました。授業を終えるとぼくは歩いて会いに行きました。重病だったから、彼のお母さんが厳しい目をぼくに向けるんだけど、いつまでも話が尽きなくてね。それで別れてから、お互いにまだ話し足りなかったことを手紙に書いて、次の日に交換して、読み合って、また話を続ける。まるで昔の女学生みたいでした。

週刊朝日 2012年11月30日号