現役バリバリのメジャーリーガーを入団させたはずなのに、キャンプ地に現れたのは、まったくの別人……。こんな前代未聞の取り違え事件が起きたのが、1968年の東京オリオンズ(現ロッテ)だ。
ハワイのマウイ島でキャンプ中の東京は、強力助っ人2人の獲得に成功した。一人は身長2メートル超の長距離砲・アルトマン。もう一人は、右投げ右打ちの三塁手で、現役メジャーリーガーのヘクター・ロペス(ヤンキース)という話だった。
ところが、いざキャンプに合流して、キャッチボールを始めたロペスは、なんと、左手でボールを握っているではないか。慌てて確認すると、この左利きの男は、ヘクター・ロペスではなく、同姓のアルト・ロペスだと判明。65年に“本物”と同じヤンキースで38試合に出場したことなどから間違えられてしまったようだが、アルト自身も“ロペス違い”を承知のうえで、知らん顔して契約書にサインしていた。
現役メジャーリーガーと、前年は故郷・プエルトリコで百貨店の売り子をしていたセミリタイアのマイナー選手とでは月とスッポンだが、東京は「ダメだったら、アメリカに返せばいい」と割り切り、ヤンキースにたった1000ドル(当時のレートで36万円)の移籍金を支払って、そのまま入団させた。入団交渉での人違いといい、別人とわかっても入団させた鷹揚さといい、半世紀前のプロ野球界は大らかだった。
ところが、この“ニセロペス”は、超ド級の掘り出し物だった。1年目に26試合連続安打を記録し、オールスターでも史上初の初回先頭打者初球本塁打の快挙を達成するなど、打率2割8分9厘、23本塁打、74打点の好成績。ヤクルト移籍後も含めて通算打率2割9分、116本塁打と6年にわたって活躍し、底抜けの明るい性格から、“下町(東京球場)の太陽”とファンに親しまれた。相撲界でも、四十三代横綱・吉葉山が人違いで入門させられたエピソードで知られるが、こんな運命を大きく切り開く人違いがあるから、世の中面白い!