こうした「童謡系ヘタウマ」の流れを、80年代に受け継いだのが、81年デビューの伊藤つかさ、そして86年デビューの西村知美である。歌うこと自体は好きだった西村だが、カラオケボックスにもひとりで行くとして、理由をこう語った。
「人様にお聞かせできるものじゃありませんから。迷惑でしょ」
本人がそこまで自嘲する歌が商品になり、チャートのベストテンにも入っていたのだから、ヘタウマアイドルの世界はじつに奥深い。
■“前衛的音痴”大場久美子、新田恵利は「テレビが壊れた」
一方、別の流れもある。77年にデビューした大場久美子から始まるものだ。ボイストレーナーから「君は、音階にない音が歌えるね」と感心(?)されたというその歌は、いわば一種の前衛芸術。ただ、一部のマニアにしか理解されず、2年後に「私は音痴だから」と歌手活動を停止してしまう。
とはいえ、その5年後にはまたシングルを出し、最近も歌っている。1月2日放送の「日本歌手協会新春12時間歌謡祭」では「スプリング・サンバ」を披露していた。
「曲は変わらないのに、息切れするところが変わりました」
と笑わせていたが、ヘタウマぶりはアイドル時代と変わっていなかった。
そんな大場の後継者が、同じ事務所・ボンド企画から出た新田恵利である。和田アキ子をして「テレビが壊れたと思った」とまで言わしめた歌唱力の持ち主だ。85年におニャン子クラブの会員番号4番としてデビューしたあと、86年に「冬のオペラグラス」でソロデビュー。そこから4作連続でチャート1位を達成するなど、輝かしい業績を残した。
が、5作目のシングル「若草の招待状」で悲劇に見舞われる。レコード会社の絡みで、フジテレビ系のアニメ「世界名作劇場 愛の若草物語」の主題歌に使われたのだが、全48話のうち14話までしか流れず、その後は別の歌手の別の曲に差し替えられた。エンディング曲だったB面もまたしかり。理由は公表されなかったものの、彼女の歌にもっぱら母親層の視聴者から苦情が出たためとされる。