不思議なことにね、そういう節目節目の行事に重きをおくようになると、自分の責任感とか増幅していくもんなんだね。そういうことも、相撲のときはスルーしていたから、責任感とかそういうものがなかった。それを女房がやってくれることで、父親であるとか、自分は世の中の誰かの責任を負っているっていう、そんな妙な覚悟になったんだよ。

 古希のお祝いに話を戻すと、年を重ねていくと誰かが亡くなったときしか集まらなくなるよね。今回、誕生日祝いをやれば、少なくとも「天龍は70歳になったんだ」って思ってくれる人がいるでしょう。俺を見てもっと頑張ろうと思ってくれる人もいるかもしれないし、先に逝くわけにいかないって思う人もいるかもしれない(笑)。でも、古希の誕生日の祝いの席では、「もう少しいろいろな方の席を回って挨拶したほうがいいんじゃないですか?」って言われるだろうけど座りっぱなしでやるよ(笑)。

 俺ね、ジャンボ鶴田が早く亡くなったから、「あぁーこの歳まで生きたな」っていうのもありますよ。ジャンボだって早く亡くなって、やりたい事がまだまだあったんだろうなと思う。彼のことに思いを馳せることもある。

 うちの女房には話したことあるんだけど、昔は早く亡くなった人を見ると斜に構えたひねくれものの天龍源一郎がいて「いいよな~面倒くさいことなくなって、あの世にぱっといっちゃって。気楽でいいよな」なんて減らず口たたいていた。いろいろやり残したこともあってあの世にいっちゃったんだから、できるならその人たちの思いも重ねて、俺は長生きしたぶん、いろんなことを伝えていく責任もあると改めて思うよね。