翌10年も開幕から好調で4月後半まで打率は4割を超え、盗塁も10以上をマークしたが、試合中に左太腿裏を故障して登録抹消となり、最終的には94試合の出場にとどまった。その後は12年と13年に83、91試合出場でいずれも2ケタ数の盗塁を記録したが、16年に引退するまで規定打席に到達することはなく、10年間の現役生活を終えている。

 最近では16年に高山俊(阪神)が134試合に出場して打率.275、8本塁打、65打点でセ・リーグ新人王となった。新人としては球団初となる開幕戦でプロ初打席初安打を記録した高山は、外野手のレギュラーとしてオールスターにも出場し、136安打で当時の公式戦シーズン安打の球団新人記録を樹立(昨年に近本光司が更新)。シーズン猛打賞13回は、新人選手としてはあの長嶋茂雄(巨人)のNPB記録(14回)に次ぐ史上2位の記録だった。

 プロ2年目も開幕から1番打者としてスタートし、一時は3番も任されたが、打撃不振が顕著となり、7月以降はスタメンを外れることも多くなった。最終的に103試合出場で規定打席には届かず、打率.250、6本塁打、24打点と大きく成績を落とした。18年はわずか45試合の出場に終わり、昨季は105試合出場とやや持ち直したが、まだ1年目の輝きは取り戻せていない。

 新人王には届かなかったが、大ブレイクを果たした翌年にジンクスにハマった選手もいる。

 若松駿太(中日)は、プロ3年目の15年に先発ローテの一員として台頭し、23試合登板で10勝4敗、防御率2.12の好成績を残した。前年まで未勝利だった若松は、6月の西武との交流戦でプロ初勝利をマークすると、8月に4勝と大活躍。山本昌の引退試合となったシーズン最終戦に3番手として登板して勝ち投手となり、2ケタ勝利に到達した。

 翌年も先発ローテに入って19試合登板で7勝(8敗)を挙げたが、防御率は4.06と大幅に悪化した。その後、17年はわずか1勝に終わり、18年は右肩故障の影響で一軍登板がなく、シーズン終了後に自由契約となった。昨季はBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスで13勝をマークしてMVPとなり、チームの優勝に貢献したが、合同トライアウトでNPBから声がかかることはなかった。

次のページ 薮田もあの時の輝きは失ったまま…