全体の勝敗は長年、東西対抗で争われ、エンディングは「一月一日」の大合唱。「とーしのはーじめの」というこの歌のタイトルをこの番組で知った人もいるのではないか。

 出演者も豪華で、企画制作も手がけるナベプロ(渡辺プロダクション)系のタレントを中心に、ベテランのスターからアイドル、芸人が集結。ひとつの演目の紙吹雪に100万円も使ったり、中山秀征が痛み止めを6本も打ってボウリングをしたり、200人ものエキストラを用意したり、カネも手間ひまもふんだんにかけられていた。

 危険もつきもので、吉田栄作が真剣を用いる芸をやったときには、刀の不具合で自分の足を斬りかけたり、折れた部分がスタッフを直撃しかけて、あわや大惨事になるところだった。

 さらに、出演者同士がケンカになることも。練習中、九州男児の竹本孝之と尾形大作がどちらの方言がきついかで揉め、とっくみあいをしたりした。それほど熱い空気のなかで、制作されていたのだ。

 そんなもろもろの努力が実を結び、開始から何十年も高視聴率を記録していたわけだが、94年に20%を切り、09年にはついにひとケタまで落ちた。これにより、翌年で終了することとなる。

■かくし芸が原因で離婚?

 数字がとれなくなった原因については、いろいろなことがいわれている。そのひとつが、テコ入れの失敗だ。本番にいたるまでのメイキングも見せて、感動的にしようとしたり、その結果、満点が連発されるようになって興醒めをもたらしたり。逆に、ふざけすぎてひんしゅくを買う演目が問題視されたりもした。

 また、芸能人のあり方がいろいろな意味で変わってしまったということもある。かつては歌手や俳優や芸人がいつもと違うことをすれば、それだけで面白かったが、そのありがたみがうすれたというか、むしろ暑苦しさや徒労めいたものを感じるようになったのである。

 ある意味、象徴的だったのが、97年に堺が当時の妻・岡田美里に突きつけられたという言葉だ。

「アンタ、家庭をとるの? かくし芸をとるの?」

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使命を終えた後に