ただ、この場面に関して、筆者の周囲での反応は複雑だった。ここまで極端な拒食のケースでなくとも、痩せていたい人、太りたくない人にとって、食事制限の反動で起きる過食はとにかく怖いことだからだ。そんな過食を「絶対に」なると予告され、むしろ奨めるようなことをされては、絶望するしかない。できれば、過食に移行することなく、体型や体調と折り合いをつけることを模索したいというのが、切実な本音なのだ。

 そして実際、過食に移行しないケースもあるのだが、どちらが多いかといえばやはり、移行するケースである。この安藤選手の場合も、食べ始めたことを機に、過食に転じた。その後は拒食と過食、痩せたり太ったりを繰り返しながら、ハタチ過ぎまで不安定な状態が続いていくわけだ。

 また、治療者が過食を受け入れさせようとするのは、嘔吐や下剤乱用などの「排出行為」に走ることを怖れるためでもある。じつはこの番組のスタジオでも、17歳のモデルがダイエットをしているうちに食べたものを吐くようになった話をしていた。

 肌の調子が悪くなったため、吐くことはやめたそうだが、痩せたいと食べたいのせめぎあいのなかで、排出行為が始まることは珍しいことではない。それは過食による肥満を回避する苦肉の策でもあるのだ。ただ、そうなるとますます葛藤がこじれることになる。

 とまあ、食事制限がやがて過食につながりやすいのは「自然の摂理」だから、そこにハマってしまうと抜け出すのは至難のわざだ。ちなみに、過食衝動が起き、それに負けてしまうことを「スイッチが入る」などと言ったりする。ダイエッターや痩せ姫の大多数はこの不安や恐怖と日々戦っているのである。

■「食べ物は愛の代用品ではない」

 では、そういう状況をわずかでも改善するにはどうしたらいいのか。拙著「痩せ姫 生きづらさの果てに」について、最近見かけた感想にこういうものがある。

「『痩せ姫』って本やっと読んだんだけど“食べ物は愛の代用品ではない”って言葉が一番沁みたなぁ…ボロボロ泣いてしまった」

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