個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。
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今日は「人の呼び方」について考えてみる。まったくクリスマスも年の瀬も関係ないテーマだが、クリスマスにも年の瀬にもあまり興味がないゆえご容赦頂きたい。
言うまでもないが、「人の呼び方」は、その人との距離感と密接に関係している。呼び方次第でその人との距離は縮んだり、遠ざかったりする。もちろん目上の人なら、同性異性を問わず、姓に「さん」づけが妥当だろうから、ここでは同年代や目下の人に限定して話を進める。
まず、距離感をあまり縮めたくない人には、姓に「さん」づけ。これは永久不変の真理だ。よそよそしさ十分。それでいい。一方、この人とは仲良くなりたいな、距離感を縮めたいなと思う相手なら、やはり呼び捨てに挑むべきであろう。もちろんアダ名という手もあるが、やはりここは呼び捨てを推したい。姓でも名でも構わない。とにかく呼び捨て。最終目的呼び捨て。最終兵器彼女。ごめん今のなし。高橋しんさんごめんなさい。
しかし、初対面でいきなり呼び捨ては難しい。会ったその日に「田中はさぁ」とか「達彦はどう思う?」とか「おしゃれだね、奈美」とは言えない。いや言えないこともないが、むしろその人との距離が思いきり遠ざかるリスクがある。リスクっていうか、多分遠ざかる。焦ってはいけない。対人ストロークの詰め方には繊細さが必要だ。まずは姓に「さん」づけ。「田中さん」。ここが入り口であろう。
しかし機を見て、よきタイミングで、「くん」「ちゃん」に斬り込まねばなるまい。「さん」よりは明らかに距離が縮まる。そして姓ではなく名に飛び込んでみよう。「達彦くん」「奈美ちゃん」。「田中ちゃん」だと、やや、業界臭が漂ってしまう。
「くん」「ちゃん」をクリアしたら、次はいよいよ「呼び捨て」だ。何がいよいよか分からんが、とにかく呼び捨てなら、姓でも名でもいい。通常、名の方が距離は縮まるものだが、呼び捨てはそれをも凌駕する。たとえば僕の場合、異性に対しての「姓の呼び捨て」は、同志としての敬意のあらわれだ。ずっと「はるかちゃん」と呼んでいたがピンと来ず、長く一緒に作品をつくっていくうちに「きなみ」と呼ぶようになった木南晴夏がその例だ。
難しいのは呼び捨てにするタイミングだ。もちろん打ち解けてきたことが大前提ではあるが、難しいのは「最初に」呼び捨てにするタイミングだ。極度の緊張と繊細な心配りが求められる。相手が油断した隙に、針の穴に糸を通すように、清水の舞台から飛び降りるように、ちょっと何を書いてるのか分からなくなってきているし、なんで俺こんなに呼び捨てにこだわってるんだろうという気もしてきたが、ここまで書いてしまったのだから仕方ない。年の瀬だ。許せ。