この場合、フランス人が好きな舌平目のムニエルに置き換えて説明すれば、「ああ、西澤は一般的なものよりも、より魚感が強い〇〇風のが好きなんだな」と理解してもらえるかもしれません。
同じように、「ワンオペ育児」という言葉も、外形的には「大変なこと」と理解されるかもしれませんが、その人その人で何が一番きついのか、どうきついのかという属人的な体験はシェアされません。
剛さんは、
「そんなの、違う人なんだから、完璧にわかるわけがない。まずは確実にわかるところを理解するのが大事なんじゃないですか」
ともおっしゃいました。確かにそれはそうかもしれません。しかし仮にそうだとしても、剛さんは、「まず」と言いつつも「次」や「さらにその次」のステップを想定していません。まずは、Google検索で画像を見せるにしても、その次のより深い感覚をどうコミュニケートするかというところがないのです。
うな重を舌平目のムニエルに置き換える例えは、両方の文化を理解している通訳がいれば難なく出てくるかもしれませんが、通常は、夫婦の間に通訳はいませんから、試行錯誤で相互理解を進めていくしかありません。試行錯誤というと響きが良いですが、身もふたもない言い方をすれば「失敗(分かり合えないこと)の連続」のことです。
うまくいかないことは当然ストレスで、その状態が続くことはさらに別のストレスが積み重なります。そうなると「要するに伝わらない相手なんだ」と結論づけたくなります。そうすれば、少なくとも「頑張っているのに失敗の連続」という追加的なストレスからは逃げることができます。
早く結論が欲しい剛さんは、試行錯誤を避けて、自分がわかる範囲で短兵急な解決策にすがる結果、なかなか妻の言葉の本当の意味にたどり着きません。
夫婦のコミュニケーションの土台は、工夫しても工夫してもなかなか通じない状態でも、相手の悪意を仮定せずに、工夫をし続ける能力です。別の言い方をすれば、話し合いで未解決なものは未解決なまま、かといって放置するのでもなく、分かり合って解決できるように試行錯誤を続けるという「未解決状態に耐える能力」だと思います。