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朝日新書11月新刊『寂聴 九十七歳の遺言』の出版を記念して、11月14日、著者・瀬戸内寂聴さんの自坊、京都・嵯峨野の「寂庵」で記者会見が行われた。この日は、寂聴さんが1973年、51歳のときに出家して、46回目の得度記念日。「これも仏さまのご縁でしょう。有り難いことです」と寂聴さん。紅葉が美しく色づいた寂庵に、テレビ、新聞、雑誌十数社の記者らが集まった。以下、主な内容を速報する。
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――今回の新書『寂聴 九十七歳の遺言』、「遺言」という言葉がタイトルになっていて、ドキッとしました。
瀬戸内寂聴さん(以下略):「遺言」ってつけたら、売れるかなと思って(笑)。「遺言」という言葉が何か嫌で、本を500冊以上も出してきたけれど、小説にもつけたことがなかったけれど、今回、初めてつけたんです。ただ、97歳ですから、今夜死んでも、この会見が終わって母屋に歩いて戻るときに死んでもおかしくない。死が日常の中にくっついているんです。ほんとに死の間近にいる97歳の私が、最後にどうしてもみなさんに言い残しておきたいという気持ちで書いたから、この本に「遺言」とつけました。やさしい文章だし、読みやすいから、たくさんの人に読んでもらえることを願っています。
――これを最後に、もう書かないのかな、と思ってしまいました。
書かないと食べられないから、まだ書けるうちは書きたい(笑)。ただ、九十七という数字はきれいなのでとても好きなんです。九十八だと、なんとなくボタっとしている。これが「百歳の遺言」でも、つまらないでしょう。だから「遺言」は、もうこれが最後ですね。
――「愛することは許すこと」と、今回の本だけではなく、毎月の寂庵の法話会などでも繰り返し述べています。でも、普通の人はなかなかその境地になれません。
ほんとに愛したらなんでも許せるというのが、私の97年の人生経験で得た結論なんです。でも、いじめとか殺人とか、許しちゃいけないことも、もちろんあるんです。それは人間の煩悩の迷いです。人間が生きている限り、それをなくすことはできないでしょう。けれども、そのままじゃ困るから、そうじゃないことを人間は目指したほうがいい。人間が生きるということは愛することです。たまに、誰も愛したことがないという人がいますが、そんなことはないんです。誰だって愛したことがあるんです。それを思い出さなきゃいけない。