市川森一さんの訃報には驚かされました。
ちょっと前に市川さんが脚本を書かれた『蝶々さん』を観ていて、まだまだお元気なんだなと勝手に思っていたところだったので、尚更です。
市川森一という脚本家の名前を最初にはっきりと認識したのは『帰ってきたウルトラマン』の、「悪魔と天使の間に・・・」という作品でしょうか。
異星人が可愛らしい子供の姿をとっているので、ウルトラマンである郷秀樹以外の怪獣攻撃部隊MATのメンバーは、彼が侵略者であることを信じない。その子を駆逐しようとする郷を、他の隊員たちが責める。「こんなかわいい子供が侵略者であるはずがない。人類はそういう先入観で動くものだ」と、郷にだけテレパシーで話しかける異星人の狡猾さが忘れられません。
子供番組で、子供の姿をしているから盲目的に善良と信じる人間達という逆説をやったのです。小学校六年生という子供から思春期に入ろうかという時期だったこともあり、この話は凄く響きました。
ウルトラシリーズを通しても好きなエピソードの一つです。
大好きだったのが『新・坊っちゃん』です。
夏目漱石の有名な原作を下敷きに、江戸っ子である坊っちゃんと会津出身の山嵐という旧体制派と、長州出身の当時の主流派である赤シャツという構図をはっきりと打ち出したことに、当時高校生だった僕は感銘を受けました。
漱石の意図とは別に、当時の中高生には『坊っちゃん』といえば青春ユーモア小説という捉えられ方が普通だったのですが、その『坊っちゃん』を、時代に乗り遅れた男たちと時代の波に乗って行こうとする男と女たちの衝突の物語という構図を打ち出した。
当時は、高校生ですから、漱石といえば教科書に載るような古典であり古臭いものだというイメージがあったのですが、そこに明確に「こういう古典でも自分たちの物語になる」という読み換え方を示してくれた。それがとても刺激的でした。
毎週毎週、楽しみでたまりませんでした。NHKのドラマですが、今映像が残っていないのが本当に残念です。
その後も『黄金の日日』や『淋しいのはお前だけじゃない』など、名作を何作も書かれている。
その市川さんと、仕事をご一緒したのは『出島』という舞台でした。
市川さんの原作『夢暦長崎奉行』を元に、僕が舞台用の脚本を書きました。
主演は木の実ナナさんだったのですが、その原作にナナさんの役がない。
「どうするんですか」とプロデューサーに尋ねたら「市川さんは変えてもらってかまわないと言ってますので」と言う。
結局、原作でちょっとだけ出ている女性をふくらませて殆どオリジナルのキャラクターを作らざるを得なかった。
市川さんどう思ってるのかなあ。怒ってたらまずいなあと思いながら、初めてご挨拶した時に、あの温和な笑顔を浮かべられて「大変だったでしょう。自由に変えてもらっていいですからね」とおっしゃられてホッとしました。
そのあとも何度かパーティーなどでご挨拶程度はしたのですが、ゆっくりお会いしたのは、双葉社の編集者としてでした。
当時、僕は『怪奇大作戦大全』や『帰ってきたウルトラマン大全』など、円谷作品の研究本を企画・編集していました。
その流れから、市川さんの自伝が出せないかとお尋ねしたのです。
若い頃によく使った新宿の喫茶店を中心にして書けないかなあとおっしゃって下さったのですが、これは実現なりませんでした。書き手の市川さんも編集者としての僕も、本作りの核をもう一つ掴みあぐねている間に時間が過ぎてしまいタイミングを逸したという感じでした。
ただ、その当時会社員と脚本家の二足のわらじを履く僕を面白がってくれたのが印象的でした。「いいんじゃないかな。僕も脚本家とコメンテーターの二足のわらじを履いてるから」と笑った顔は今でも記憶に残っています。
その市川さんが企画の立ち上げに参加した『仮面ライダー』の最新作に、自分が関わっているのも面白い縁だなと思います。
「仮面ライダーは人間の自由のために、ショッカーと戦うのだ」というオープニングナレーション。ライダーが正義ではなく、自由のために戦うというコンセプトは市川さんが提案したと聞いたことがあります。
実は今回の『仮面ライダーフォーゼ』では、登場人物に正義を守るのではなく「学園の自由と平和を守る仮面ライダー部」と言わせています。これは市川さんが提案した「仮面ライダーは人間の自由のために戦う」ことへのリスペクトです。
本当に、この年代の脚本家の方達が書かれた仕事の量と大きさには圧倒されます。
その作品が与えてくれたものを、自分の仕事で次の世代につなげていけたらといいなと思います。
長い間ご苦労様でした。あちらでゆっくりお休み下さい。