2005年に開業したつくばエクスプレスと接続するため、野田線に新設された流山おおたかの森駅を出発する8000系。(撮影/岸田法眼)
2005年に開業したつくばエクスプレスと接続するため、野田線に新設された流山おおたかの森駅を出発する8000系。(撮影/岸田法眼)
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キッコーマン醤油工場がズラリと並ぶ、1953年の野田市 (C)朝日新聞社
キッコーマン醤油工場がズラリと並ぶ、1953年の野田市 (C)朝日新聞社
大宮駅に停車する「スカイツリートレイン4号」。野田線に初めて設定された特急となった。(撮影/岸田法眼)
大宮駅に停車する「スカイツリートレイン4号」。野田線に初めて設定された特急となった。(撮影/岸田法眼)
佐野線の葛生に乗り入れた、野田線用の60000系(撮影/岸田法眼)
佐野線の葛生に乗り入れた、野田線用の60000系(撮影/岸田法眼)

 東武鉄道野田線が開業して108年。軽便鉄道から始まり、野田の醤油(しょうゆ)を輸送する目的により大きく発展した。今や東京近郊のベッドタウン同士を結ぶ路線として、都市間輸送を担う。前回の記事「『東武アーバンパークライン』2020年3月ダイヤ改正を占う」でも紹介した、急行区間拡大も話題のこの路線史を振り返る。

【1953年の野田市。醤油工場がズラリと並ぶ】

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■鉄道を発展させた野田醤油の繁栄

 野田線は1911年5月9日、千葉県営軽便鉄道として野田町(現・野田市)~柏間を開業したことに始まる。車両は蒸気機関車、客車、貨車が用意された。なお、野田町駅は現在の野田市駅とは別の位置にあり、1929年9月1日に移転したあとは貨物ホームに転用された。

 この路線が飛躍するきっかけになったのは、1917年、現在の千葉県野田市に野田醤油株式会社(現・キッコーマン)が設立され、醸造業が一層の発展を遂げたことによる。1921年に入ると、野田醤油醸造組合は製品輸送を行うため、船橋~野田間に鉄道を導入しようと計画する。これが実を結び、1922年4月5日、千葉県営軽便鉄道の払い下げを前提として、柏~船橋間の敷設を目的に北総鉄道を設立した(現在の北総鉄道とは無関係)。

 1923年8月1日、野田町~柏間の運営を千葉県営軽便鉄道から北総鉄道に譲渡。そして、わずか4カ月後の12月27日に柏~船橋間を開業した。当時、北総鉄道柏駅は省線(のちの国鉄、JR東日本)常磐線柏駅の下りホームの向かい側に野田町方面、上りホームの向かい側に船橋方面のホームを構えており、線路がつながっていなかった。

■総武鉄道改称と全通を経て、東武鉄道野田線に

 1926年、北総鉄道は国有鉄道の駅に乗り入れて製品輸送をしやすくするため、野田町~大宮間の延伸工事に着手し、1929年9月1日に野田町~清水公園間、11月17日に大宮仮駅~粕壁(現・春日部)間が相次いで開業した。

 特に後者は当初より直流電化で開業し、粕壁で東武伊勢崎線に接続した。新線開業からわずか1週間後、総武鉄道に改称。仮駅だった大宮は12月9日から現在の本駅に移転、12月30日には清水公園~柏間が電化開業し、新たなスタートを切った。

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戦時輸送力の強化を図り東武と合併