“野茂劇場”とも言うべき珍記録に、仰木彬監督は「野茂はヒットを10本打たれたのと一緒やな。最多勝までお預けにしとこうと思ったが、完封だから(5月26日のロッテ戦以来)、2カ月ぶりに握手してやった」と独特の言い回しで勝利を喜んでいた。

 94年の野茂といえば、西武との開幕戦(西武)で8回までノーヒットノーランを続けながら、9回の降板後に伊東勤の逆転サヨナラ満塁弾に泣いた悲劇を思い出すファンも多いはずだ。

 実は、同年は記憶に残る“報われぬ好投”がもう1試合あった。5月10日のロッテ戦(千葉マリン)である。

 この日の野茂は8回まで被安打わずか1、奪三振9の無失点。捕手・光山も「開幕戦といい勝負の出来だった」と目を見張るほどだった。

 だが、近鉄打線も小宮山悟の前にわずか3安打と沈黙。主砲・ブライアントが夫人の入院で緊急帰国。選手会長の村上嵩幸も遅刻のペナルティで2軍落ちという“飛車角落ち”状態も災いして、ゼロ行進を続ける。

 そして、0対0で迎えた9回裏、先頭のホールからこの日10個目の三振を奪った野茂だったが、次打者・初芝清にカウント1-1からの123球目をバックスクリーンに打ち込まれ、プロ初のサヨナラ被弾に泣いた。

「フォークが来たら三振するつもりだった」と初めからストレート1本に的を絞っていた初芝に対し、野茂は「(初球のファウルで)初芝さんの直球狙いはわかったけど、真っすぐでイケると思った。納得のいくボールだったから力負けです」と力対力の勝負の結果に、「敗れて悔いなし」の様子だった。

 開幕戦の悲劇に続き、今度は被安打2のサヨナラ負け。野茂の日本でのラストシーズンは、“悲運のエース”のイメージが付いて回った。

 プロ1年目から4年連続最多勝に輝いた野茂だが、中でも93年は絶望の淵から這い上がるようにして奇跡のタイトル獲得を実現したという意味でも、“トルネード伝説”のひとつとして語り継がれている。

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