自分が書く物語のアイディアや台詞をどうやってどこで思いついたか、その時の状況も含めてはっきり覚えているものがあります。

 たとえば『天元突破グレンラガン』の最終回のシモンの台詞、「俺達は、一分前の俺達よりも進化する。一回転すれば、ほんの少しだが前に進む。それがドリルなんだよ」は、クライマックスで主人公が巨大な敵に対しどういう言葉を提示すればいいのかずっと悩んでいて、通勤の途中、もうすぐ会社に着くという曲がり角で、ポロッと思いついて、「やれやれ、これでこの物語を終わらせることができるぞ」と安堵した瞬間とか、その道の景色込みで覚えていたり。

 今回の『髑髏城の七人』。いのうえひでのりとヴィレッジの細川社長と三人で、最初の打合せをしたとき。捨之介を小栗旬くんでいきたいと、細川氏から聞いたのとほとんど間をおかずに「じゃあ、一人二役をやめましょう。天魔王を別の役者に。森山未來くんがいい。だったら蘭兵衛は早乙女太一くんで」と答えた。
 直感ですね。
 その時には、「それでいける」という確信めいたものがあった。でも、自分でもなんでそんなことを思いついたのか、きちんと説明はできないんです。
 ずっと「信長の影武者設定だと、本当は年齢は50歳から60歳じゃないといけない」という思いがあったからかもしれない。影武者設定、一人二役をやめないと、小栗くんが捨之介ではあまりにも若くなりすぎますからね。
 ただ、それを受けていのうえが「そうか。ヒトラー・ユーゲントみたいな感じで信長ユーゲントか」と言った。
 これでほとんど今回の『ワカドクロ』の骨格は固まりました。
 キャストが決まり、いざ実際に台本を書かなければいけない段になって初めて、「しまった、今までの『髑髏城』は後半に一人二役でないと成立しない展開があったぞ」と思いだして焦ったりしたのですが。
 でもこれも、小栗旬の捨之介と仲里依紗の沙霧が頭の中で動き出すと、新しい展開を自然に思いついた。これは自宅で風呂に入って入る時だったかな。
 頭の中で、仲さんの沙霧が捨之介に〇〇したり、家康に対して〇〇したりしているところが浮かんだんですね。(まだ公演中ですので一応伏せておきます)
  
 でも、物語の根幹に関わるアイディアなのに、どこでどうやって閃いたのか、どうしても思い出せないということもある。
 例えば『阿修羅城の瞳』で、どうして鬼殺しと鬼の物語を四谷怪談と絡めようと思ったのか。そのきっかけというか、思いついた瞬間がいつだったのか、どうにもはっきりとしません。
 書いたのは28歳の頃。当時は、まだそれほど歌舞伎が好きだったわけでもなかった。
 鶴屋南北も、名前は知ってはいたがこの時には、まだ読んだこともなかった。むしろ『阿修羅城』の下敷きにしようと決めてから、『東海道四谷怪談』を読み、その言葉の強さ、演劇的な仕掛けの面白さに驚いた覚えがある。
 もともと怪談や因縁話は嫌いなので、当時の自分の中に積極的にこういうものを取り入れようという傾向は少なかったはずなのです。
 考えられるのは山田風太郎の『八犬伝』という小説に出てきた鶴屋南北が強烈に印象的だったことか、当時かわぐちかいじが連載していた『アクター』というマンガが四谷怪談を扱っていて、それが面白かったことか。ただ、どちらも決定的ではない気がする。
 今考えても、どうも当時の自分の生理の中からは出てきにくい発想だなと思うのです。
 まあ、全部自分の理性の及ぶ範囲で物語を作っていたら、もっと窮屈なものになるのかもしれません。
 まるで物語の神様が落としてくれたようなアイディアが、作品の幅を広げてくれる。
 ただ、さすがにこの歳になると経験で、そういうアイディアが落ちてきやすい状況を作ることくらいは、やれるようになってきたとは思います。