医学部に入って数年後、同じような状況がおとずれました。かわいがってくれていた叔父が、がんになったのです。すっかり元気をなくした叔父になにかできることがないか、私は一生懸命に調べました。
ほんの少しの医学的な知識からたどり着いた先には、奇跡を起こすサプリメントがありました。1カ月10万円近くするそのサプリメントには、実験レベルで証明された免疫力を上げる有効成分が含まれていました。
学生だった私は、叔父への恩返しの気持ちを込めて、貯めたバイト代でそのサプリメントを買いました。ずっと贈り続けることはできませんが、一カ月だけでも効果が出るかもしれない。奇跡は起こるかもしれない。
予備校時代の彼女を助けたのは、神社の神様ではありませんでした。優しい主治医の専門的な知識でした。叔父をがんから救ってくれたのは、高額なサプリメントではなくがんを専門とする外科医でした。
みなさんは、私がばかなことをしたと思うでしょうか?
無駄な時間を使い、効きもしないサプリメントに大事な貯金をつぎ込んだ無知な若者だと。
それとも、相手を思う気持ちゆえの行いだからしょうがない、と思うでしょうか。
私の大切な人がいま、同じように大病にかかったらどうするか。また同じようなことを繰り返すのか。
いいえ、私は同じことはしません。
なぜなら、神社で祈りを捧げた彼女も大好きな叔父も、私が何かを犠牲にしてまで「奇跡にかけていた」ことを重荷に感じていたからです。
大きな病気にかかった人たちのもとには、根拠のない「奇跡が起きる」という言葉が届きます。効果のない高額なサプリメントや、宗教のような民間療法の勧誘がきます。
心配してくれる気持ちがうれしい、と感じる半面、相手の好意を喜んで引き受けなくてはいけないと義務に感じる人もいます。気持ちに敏感な患者さんほど、心配してくれる人の気持ちをくみ取ろうと努力します。
起きるかどうかわからない奇跡のために、いまの時間を無駄にするような、ばくちは必要なのでしょうか。