プロでは苦しんだ平安高時代の川口知哉 (c)朝日新聞社
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 夏が終わると、プロ野球界ではペナントレースが佳境に入るとともに、ドラフト戦線も最終局面を迎える。今年も各球団の敏腕スカウトたちが鋭く目を光らせる中、佐々木朗希(大船渡高)、奥川恭伸(星稜高)、森下暢仁(明治大)といった面々が1位指名での競合が予想される。過去にも多々あった「重複指名」だが、ドラフト時の評価の高さ、期待の大きさとは裏腹に、プロ入り後に満足な成績を残せなかった「元ドラ1」も多い。

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 過去、プロ入りの際に最も重複したのは、1989年のドラフト会議で8球団が競合した野茂英雄である。この日本人メジャーリーガーのパイオニアとなったトルネード右腕を筆頭に、古い順に江夏豊(1966年、4球団)、岡田彰布(1979年、6球団)、原辰徳(1980年、4球団)、清原和博(1985年、6球団)、松井秀喜(1992年、4球団)菊池雄星(2009年、6球団)など、球史に名を刻んだレジェンドたちの名前が並ぶ。

 その一方で、1990年のドラフトで野茂と並ぶ過去最多の8球団(西武ヤクルト阪神ロッテ中日、広島、日本ハム、近鉄)競合の末に入団を拒否し、その2年後に近鉄入りした小池秀郎は、1997年に15勝を挙げて最多勝に輝いたとはいえ、2ケタ勝利はその1度のみ。プロ通算51勝47敗2セーブ、防御率4.40という成績は、アマチュア時代の評価通りとは言えないだろう。

 2007年の大学・社会人ドラフトで6球団(オリックス、横浜、ソフトバンク、阪神、日本ハム、巨人)から重複指名された大場翔太は、さらに苦しいプロ生活だった。東洋大の「鉄腕」として東都リーグ14連勝の新記録も作り、プロ初登板では無四球完封勝利という文句なしのスタートを切ったが、そこがピーク。4年目の2011年に復活の兆しを見せて計7勝を挙げたが、その後は再び「ノーコン病」に悩み、中日にトレード移籍した2016年を最後に現役引退。一時は「斉藤和巳に匹敵する」との声も上がったが、プロ通算15勝21敗、防御率4.39と不完全燃焼のままユニフォームを脱いだ。

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ハンカチ王子も現状は苦しく…