独自の視点と発想、強く耳に残る言葉の数々で、今なお、日本球界に大きな影響力を持つ野球人と言えば、落合博満と野村克也の2人だろう。ともに選手、監督として偉大な実績を残し、現在は解説者として働く“ご意見番”であるが、改めて両者の監督時代を振り返り、「試合中の采配」、「人心把握術」、「ベテランの活用術」、「若手の育成」、「意外性」という5つの観点から両者を比べてみたい。
まずは、最も勝利に直結する「試合中の采配」。野村氏は「野球は頭でするもの」という信念の下、データを重んじ、収集、有効活用し、より確率の高い方法を論理的に選ぶ「ID野球」を確立。ヤクルト時代の計9年間で4度のリーグ優勝(日本一3度)と結果を残した。
一方の落合氏も中日の監督として計8年間で4度のリーグ優勝(日本一1度)を達成。2007年日本シリーズでの山井大介&岩瀬仁紀のパーフェクトリレーに代表されるように「オレ流」の采配でチームの黄金期を作り上げた。ともに相手チームからすると「何をしてくるか分からない」という“不気味さ”を持っていた2人。甲乙付けるのは非常に難しく、引き分けとしたい。
続いて、上に立つ者として欠かせない「人心把握術」はどうだろうか。2人に共通しているのは、言葉の重要性を熟知していた点だろう。マスコミ受けは、ドライな「オレ流」よりも、人間味がにじみ出る野村監督の「ぼやき」の方がよかったが、落合監督は自らが矢面に立ち、常に「選手ファースト」だった。
就任1年目だった春季キャンプ初日の2月1日にいきなり紅白戦を実施するなど、求めるものは高く、練習も厳しかったが、選手たちから不満が出ることはなかった。野村監督も選手たちから愛されたが、阪神時代の低迷を差し引き、「人心把握術」では落合監督を上としたい。
野村監督が最も評価され、秀でていたのが、「ベテランの活用術」である。年齢的な衰えやスランプなどで他球団をお払い箱となったベテラン選手たちを数多く復活させ、自チームの戦力とする「野村再生工場」で巨大戦力に立ち向かい、勝利をつかんだ。一方、年齢不問の実力主義でチームをまとめた落合監督にとっては、「ベテランだから」という考え方はそもそも持ち合わせていなかった。