阪神甲子園球場外観
阪神甲子園球場外観
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「素盞嗚神社」境内にある野球塚
「素盞嗚神社」境内にある野球塚

「箭弓稲荷神社」の絵馬掛け
「箭弓稲荷神社」の絵馬掛け

 台風の影響で日程変更もあった夏の甲子園も、いよいよ終盤を迎える。令和最初となる今大会だが、地方大会から波瀾(はらん)万丈続きとあって、記憶に残る大会となるに違いない。

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●甲子園球場の名前の由来

 ところで、高校球児にとって夢の場所といわれる「阪神甲子園球場」の成り立ちをご存じだろうか。今では阪神タイガースのホームグラウンドとして広く知れ渡っているが、始まりは「全国中等学校優勝野球大会」(現・全国高等学校野球選手権大会)を開催していた豊中球場や鳴尾球場が、人気とともに手狭になり、新たなグラウンドを模索していた大会側と阪神電鉄の構想が一致したことから、急遽建設されたという歴史がある。

 完成は1924(大正13)年8月1日で、干支でいうならば“甲子の年”にあたる。

 少しだけ説明すると、干支(えと/かんし)というのは、子・丑・寅と続く十二支と、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類からなる十干(じっかん)を組み合わせたもので、全部で60種類になる。1番目は甲子(きのえね/こうし)、60番目は癸亥(みずのとい/きがい)となり、われわれが簡単に“えと”と呼んでいる中には5種類の干支があることになる。例えば、甲子、丙子、戊子、庚子、壬子年生まれの人を、合わせて“子年生まれ”と呼んでいるのである。60歳を還暦と呼ぶのは、生まれた干支に戻ってきたことを祝っているのだ。そして1番目の「甲子」は、吉をもたらす特別な干支と考えられてきた。

●日本の文化と干支の関係

 話がそれたが、上記の理由から甲子の年に完成した球場は「甲子園」と命名された。

 干支は古代中国・殷(紀元前17世紀頃)の王朝から、暦や方角、時間などに使用されていた数の概念で、日本をはじめ広くアジア一帯に広まっている。日本へ入ってきた干支は、いろいろな進化をして日本の神さまたちとも結びついていった。有名なところでは、弁天さまとへび、特に“己巳(つちのとみ/きし)”の日は特にご利益があると言われているし、庚申からは日本独特の「庚申信仰」も誕生した。ほかにも戌の日と安産、丑の日とうなぎなど広告に登場するほど有名な組み合わせもある。

●ネズミとダイコクさまの関係

 では、子(ねずみ)はどの神さまと結びついたかというと、出雲の神さまであるオオクニヌシ(ダイコクさま)とセットになったのだ。理由はいろいろ語られているが、一番はオオクニヌシがスサノオから試練を与えられた際、手助けをしたのがネズミであることに由来している、という説が有力のようだ。

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「甲子」と野球関係のご利益