タイヤを履き替えたマンセルはすぐにセナに追いつくが、モナコGPの舞台は市街地サーキットであるため、なかなか抜けない。このときのセナとマンセルによる最後の数周のテール・トゥ・ノーズのバトルは、モナコGP史上最も熱い戦いだったと言われている。
そのセナとピケによる戦いで忘れられないのは、1986年のハンガリーGPだ。レースをリードしていたのはロータス・ルノーのセナ。しかしレース後半にウィリアムズ・ホンダのピケがセナに追いつく。ハンガリーGPの舞台であるハンガロリンクは、「ガートレールのないモナコ」とも言われ、オーバーテイクが難しいサーキット。そのハンガロリンクでピケは、セナをアウトからオーバーテイク。このときピケの4輪はドリフトし、カウンターステアを当てながらセナを抜き去った。この勝負はマシンやタイヤの性能で大きく劣っていたとは言えない状況で、セナがコース上でオーバーテイクされ「セナが真っ向勝負で敗れた数少ないシーン」として語り継がれている。
そして、「マンセルvsピケ」。彼らが最も激しくやり合ったのは、じつはチームメート同士だったウィリアムズでの2年間だった。その中でも1986年はこのライバル関係がタイトル争いに大きな影響を与えることとなった。最終戦オーストラリアGPを前にして、選手権トップは70点のマンセル、ピケは3位で63点だった。ピケは優勝以外に逆転するチャンスはなく、マンセルは3位以上でもチャンピオンになれると有利な条件だった。
しかし、レースが始まるとマンセルもピケもお互い譲らず、最終的にマンセルのタイヤがバースト。そのため、チームはピケをピットインさせてタイヤを交換。その間にアラン・プロストがトップに立ち、選手権2位で最終戦に臨んでいたプロストが逆転でタイトルを防衛した。
1980年代から1990年代初めのF1が、非常に盛り上っていたのは、こうした4人の名ドライバーが個々に対決し、グランプリこどに異なる組み合わせで対決していたからに他ならない。この4人は「F1四天王」や「ビッグ4」と呼ばれ、当時のF1を象徴する存在でもあった。
あの時代のF1が最も輝いていた時期だったという者は、決して少なくない。(文・尾張正博)