旧線跡に残る桑谷のオーバーハング(撮影/武田元秀)
旧線跡に残る桑谷のオーバーハング(撮影/武田元秀)
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樺平~水谷間の18段連続スイッチバック(撮影/武田元秀)
樺平~水谷間の18段連続スイッチバック(撮影/武田元秀)
工事専用軌道の終点・水谷連絡所(撮影/武田元秀)
工事専用軌道の終点・水谷連絡所(撮影/武田元秀)
国の重要文化財に指定された白岩砂防堰堤と副堰堤群(撮影/武田元秀)
国の重要文化財に指定された白岩砂防堰堤と副堰堤群(撮影/武田元秀)

 国土交通省立山砂防工事専用軌道は、富山県立山町の千寿ケ原(せんじゅがはら)から、立山カルデラの入り口にあたる水谷までの18キロを結ぶ。610ミリ幅の狭い線路を、小さなディーゼル機関車が作業員や資材を載せたトロッコを引いて行き来する。険しい地形を克服するため、途中には合わせて38カ所ものスイッチバックと18の橋梁(きょうりょう)、12のトンネルが設けられている。開業は1929年、それから90年間も工事用の軌道が現役で動き続けているのは、立山の砂防が“永遠に終わらない”工事だからだ。

■専用軌道に「カルデラ砂防体験学習会」で乗れる可能性も

 1858年4月9日未明、立山カルデラ南西部の跡津川(あとつがわ)断層を震源とする、マグニチュード7前後と推定される大地震・飛越(ひえつ)地震が発生した。外輪山の大鳶(おおとんび)・小鳶山の山体が大規模崩壊を起こし、約4.1億立方メートル(東京ドーム330杯分)という膨大な量の土砂が、カルデラ内に崩れ落ちた。
 
 さらにその後、常願寺(じょうがんじ)川にできた堰き止め湖の2度にわたる決壊で富山平野は大土石流に襲われ、地震の直接被害と合わせて富山城下だけでも400人以上が犠牲になったと伝えられている。

 いまも約2億立方メートルの土砂がカルデラ内に堆積していて、周囲の外輪山も崩落を続けている。そのままにしておけば、富山平野全体が数メートルの土砂で埋め尽くされるほどの状態だという。立山砂防工事が“終わらない”とされるのは、日々崩れ落ちる土砂をできる限り上流で留める必要があるためだ。いまでも年間40億円以上の砂防工事事業費が計上されているという。

 地形が険しく、沿線一帯が進行中の工事現場である専用軌道には、もちろん一般の乗車が認められていない。ただし、富山県立山カルデラ砂防博物館が主催する「砂防体験学習会・トロッコ工事コース」に参加すれば、往路か復路、どちらか片道のみのトロッコ乗車が可能だ。もう片道はバスでの移動となる。

 2019年度は7~10月に計15日間、総定員は760人だが人気は高く、18年度の抽選倍率は2.1~4.6倍となっている。しかも、現場は高山地帯のため天候が不安定で、当選してもトロッコに乗れない可能性も少なくない。トロッコに乗車できる可能性は6~7割ほどといわれている。

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トロッコ列車の起点・千寿ケ原