緻密な野村ID野球が予想外の展開で「あれれ?」の結末になったのが、93年10月1日のヤクルトvs横浜(横浜)。8対6とリードしたヤクルトは9回裏、新守護神・高津臣吾がマウンドに上がった。
88年に伊東昭光が記録した球団最多タイの17セーブを挙げている高津にとっては、この回のマウンドに球団記録更新がかかっていた。先頭の山崎賢一を三振に打ち取り、まず1死。だが、代打・井上純に右越え二塁打、石井琢朗に右前安打と連打を許したあと、高橋眞裕に四球を許し、1死満塁のピンチを招いてしまう。
これを見た野村克也監督は、次打者・高木豊のところで、左腕・乱橋幸仁をワンポイントに送ると、高津にライトを守らせた。8月29日の横浜戦(横浜)でも、同じ高木に対して用いた奇策で、この試合では先発・宮本賢治が5回2死からライトを守り、山本樹のワンポイントを挟んで、6回から再登板している。
乱橋が高木を打ち取ったら、次の4番・ローズに対し、“天敵”高津を再びマウンドに送る腹積もりだった。ところが、この奇策は皮肉な結果に終わる。「四球(押し出し)が怖かったし、真っすぐしかない」と腹をくくった乱橋が外角高めストレートを投じると、高木はバットを出し、遊ゴロとなった。6-4-3の併殺で、あっという間にスリーアウト。
この結果、高津はライトでなすすべもなくゲームセットを迎える羽目に。思わぬ計算違いで球団史上初のシーズン70勝目を手にした野村監督も「うーん、野球は難しい。否、怖い」と複雑な表情だった。
●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2018」上・下巻(野球文明叢書)。