「なぜ、私がこんな目に合わなければならないの?」
「なぜ、こんなことになっちゃったの?」
そういう思いで頭がいっぱいになっていること自体は、智花さんにとって事実です。しかし、この「なぜ」には、答えがありません。
例えば、運悪く悲惨な事故に巻き込まれてしまったとします。そういう時、人は「なぜ自分が」と思うことが多いですが、その「なぜ」に納得できる理由などありません。運悪くそこに居合わせたからだ、と説明しても納得できるはずもありません。現状に納得できる説明がない、という状態は非常にストレスなので、理由がわかれば納得(場合によっては解決)ができるのではないかというファンタジーが理由探しに駆り立てるのです。しかし、現実には納得できる理由など、この世に存在しないので、「なぜ」が空回りしてしまうのです。
運悪く事故にあったのと同じく、不倫されて納得できる理由などありえません。残念ながらそれが現実です。
子どもができて、妻が子どもにかかりっきりになってしまったかもしれません。また、結婚してある程度の時間がたったら、妻は太り始め、すっぴんで家の中をうろうろして色気がなくなったかもしれません。あるいは、妻も自分の仕事に没頭してすれ違いが増えていたかもしれません。
だからと言って、
「ああ、そういう理由なら不倫したのも納得よ。理由がわかってすっきりしたからもう気にしないでいいよ」
となるはずがありません。
事故に巻き込まれたとき、不注意だったからだと理由付けをすれば、自分も悪かったと自分を責めることで、納得いかない気持ちを抑え込む(落ち着かせる)ことができるかもしれません。同じように、自分が子どもにかまけて、夫の面倒を見なかったから夫は不倫したのだという理由をつくって、自分も悪かったと自分を責めれば、納得いかない気持ちを抑え込むことができるような気がするかもしません。
確かに、人によってはその方法で1、2度はうまくいきますが、徐々に効果が無くなります。そして、わずかでも「成功例」があることが話の本質をさらに分かりにくくしてしまいます。