平家は国民的アイドル誕生の引き立て役になってしまったわけだが、その5年後には松浦亜弥のデビューライブでトークコーナーの進行役を務めたりした。「では、クイズミチヨネア(もちろん、ミリオネアのもじりだ)行きますよー」などと後輩の晴れ舞台を懸命に盛り上げる姿にはしみじみさせられたものだ。
が、ここでお気づきの方もいるだろう。ハロプロはこの流れのなかであややという「ひとりで歌うアイドル」の逸材も送り出していた。ほぼ同時期に世に出たSAYAKAをさしおいて「聖子の再来」と期待され『LOVE涙色』などのヒット曲を連発。アイドルといえば今なお彼女を連想する人も少なくはないだろう。
しかし、平成に昭和スタイルのアイドルを貫くのはかなりのストレスだったようだ。デビューから9年後、アーティスト路線に転じた彼女は『週刊プレイボーイ』のインタビューで、過去の自分を「あのひと」と呼び、
「だんだん『嘘笑い』が得意になってて。(略)それがちょっと怖くなりました、自分で」
などと語った。のちの夫・橘慶太との恋愛も隠さなければならなかったり、何かと制約の多いアイドルをひとりで長く続けるのは割りに合わないことだったのだろう。
その一方で、アイドルとして出発した人がアーティスト的に売れるパターンが目立つようになった。安室奈美恵に浜崎あゆみ、持田香織、篠原涼子、華原朋美…。レースクイーンやセミヌードを経験した坂井泉水(ZARD)も、そこに含めていいだろう。また、椎名林檎にはホリプロタレントスカウトキャラバンへの出場歴がある。本人はもともとアーティスト志望だったというが、場合によってはアイドルとして世に出ていたかもしれない。
綾瀬はるかや深田恭子、国仲涼子、新垣結衣といった、アイドル的な女優が歌手デビューしたケースも少なくないが、片手間感というか、副業っぽさを否めなかった。実際、彼女たちの歌声を記憶している人はほとんどいないのではないか。アイドルはやはり、歌番組やライブで生歌を披露し、ドキドキハラハラさせてこそ魅力的なのだ。