先日、ある芝居を観に行ったあと、友人の役者を訪ねて楽屋に行きました。
そこで、久しぶりにある劇作家と会いました。
仮にAくんとしておきましょう。
人間関係を丁寧に描くことに定評があり、自分の劇団ばかりではなく、大きな外部公演にも脚本を提供している実力派です。
前に何度かご挨拶した程度で、それほど親しいわけではありません。お互い別の知人の役者に挨拶に来たのです。
しばらく、それぞれに知人の役者と話をしていたのですが、役者のほうも他にも来客があり楽屋を出て行く時がある。
ふっと気がつくと、役者は誰もいなくなり、僕とAくんが残されていました。
さて、どうしよう。黙ってるのも気まずいしな。頭の中で話題を探します。
お互いに顔見知りではありますが、仕事をしているフィールドは近いようでいてこれまであまり接点はなく、共通の話題が少ないのです。
彼もそんな思いだったのではないでしょうか。
お互いに探り探り話していく中で、なんとなく本の〆切の話になりました。
「次の芝居の台本はあげたんですか」
「ええ、この間。でも新感線は3ヶ月前でギリギリだって言われますから。世の中には、本番1週間前にホンがあがってれば御の字だという人もいるのにねえ」
半分冗談半分本音でそうこぼすと、Aくん、我が意を得たりという顔になり、
「そうですよね。こっちはコツコツやってるのに、ちょっと遅れると脅すプロデューサーもいたり。『これ以上ホンが遅れると出ないって言うキャストがいるんですよ』。そんなこと言われてもねえ」
「こっちはそれじゃなくても悩んでるのに、そんなプレッシャーかけられたら却って筆は止まりますよね」
「あと、連絡悪い人いますよね」
「ああ、台本上げても何の連絡もこないとか」
「そういう時って、コツコツやるタイプのほうが損してる気がしますよね」
「しますします。遅い人がたまに早く上げるとみんなすっごく喜んでくれる。その〆切よりも遙かに早い時期に上げても『ちょっと遅かったですね』とか言われて」
「コツコツ派をもっと大事にしてほしいもんですよ」
「まったくだまったくだ」
と意気投合していると、いつの間にか戻ってきていた友人に、
「そんな話は楽屋でするな。プロデューサーの前でしてくれ」と一喝されました。
実際、脚本家というのは孤独なものです。
これは宮藤官九郎(くどうかんくろう)くんの話なのですが、以前、市川染五郎(いちかわそめごろう)さんの結婚披露宴に出席した時のこと。僕ら、新感線組もいのうえひでのりを始め何人か呼ばれていて、小劇場グループは同じテーブルでした。
梨園の挙式ですので参列者も華やかです。我々は借りてきた猫のようにおとなしく片隅でひっそりと料理を楽しんでいました。そのまま小劇場グループが二次会に流れようとした時、宮藤くんは「仕事があるんで」とそそくさと去っていきました。
後日彼から聞いたのですが、当時抱えていた連続ドラマの最終回のシナリオをあげなければならなかったのです。
「いや、本当はあげてから式に出る予定だったので、あげなかった僕が悪いんすけど、あがったのは明け方、スタジオのミーティングルームですよ。他に誰もいない。僕一人。さっきまでのあの華やかな式はなんだったんだろうなあと思いながら、とりあえず松屋で牛丼食って帰りましたよ」と、しみじみと言ってました。
まさに先行ランナーの孤独だなあと思います。
ただ、よく考えてみれば、Aくんも宮藤くんも演出をやるんですよ。彼らには現場があるんですね。
脚本オンリーの人間に比べれば、まだましだと思いますよ。
でもま、劇作家は、小説家やマンガ家に比べれば、お客さんと直に接する機会があるだけ恵まれてるなとも思うのですがね。
上を見ても下を見てもきりがないと、至極当然のようなことを唱えながら、来年用の新作台本を書いています。
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